そのため、12年に習近平指導部が発足した直後、趙氏の遺族などからは一時、趙氏の名誉回復への期待が寄せられたが、状況は今も全く変わっていない。
趙氏に近かったある元党幹部は「趙氏の名誉回復が実現すれば、天安門事件の再評価を求める動きは必ず高まる。いまの共産党政権にはそれだけの勇気はない」と話している。(北京 矢板明夫/SANKEI EXPRESS)
■趙紫陽氏 中国の改革派政治家。1919年、河南省出身。中国建国後、広東、四川などで地方指導者を長く務め、農村改革で実績を挙げた。最高実力者、●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい)に評価され中央入りし、80年に首相就任。改革開放初期の経済発展に貢献。87年に総書記となり、政治改革にも取り組み始めた。89年6月の民主化運動が弾圧された天安門事件の際、学生デモへの対応で保守派と対立、戒厳令に反対したとして解任された。2005年に死去するまで北京の自宅で16年間も軟禁された。