犠牲覚悟の「鶴市作戦」
ヘリコプターを原子炉上空にホバリングさせ、ホウ酸を詰めた容器をゆっくりと降ろし→まき→中性子を吸収し→再臨界を食い止める作戦だった。最悪の場合、自衛官が被曝覚悟で降りるため、自衛官の犠牲も現実味を帯びていた。《鶴市》は治水に当たり、鶴・市太郎母子が人柱となり、人々を水害より救ったとする大分県内の神社に伝わる故事にちなむ。幼き日、遠足で神社を訪れた火箱氏が会議で話し、命名に至る。
ただ、自衛隊の作戦は原則「全員生還」を目指す。従って他官庁のごとく「Aの成功後にBに着手。めでたし目出度し」とはならない。「Aが失敗したらB。それも失敗したらC…」と、幾層もの悲観的状況を想定→得心行くまで対策を準備する。“勇敢なる臆病者”に徹するのだが、鶴市作戦は選択肢が極端に狭かったに違いない。
政治家は“勇敢なる臆病者”の優しさと苦悩にも思いをはせてほしい。旧知のI一等陸佐は2005年のイラク派遣を前に《遺言》を書く。《遺書》ではない。I氏の妻に言わせると、遺書とは確実な死が前提だという。《君たちが読む頃、私はこの世にはいない》の書き出しは、こんなふうに続く。