1901(明治34)年12月、英国との同盟を論じる元老会議が開かれた当時の桂太郎首相の別荘「長雲閣」。翌月締結された日英同盟は極めて強大な力を発揮した=2013年4月28日、神奈川県三浦郡葉山町(荻窪佳撮影)【拡大】
小欄は日本と韓国で勤務、または共同演習経験を持つ米軍将校に会う度「自衛隊OR韓国軍の何れを信頼するか?」尋ねる。誰もが自衛隊だと即答するが、理由は義和団の乱当時の対日信頼要素と驚くほど重なる。
初期の日英同盟は安保関連法制同様「集団的自衛権の限定的行使」に過ぎなかった。一国対一国では中立を、一国対複数国の窮地になり初めて参戦が義務となった。露仏同盟にもかかわらず、フランスが参戦を躊躇ったのは英国参戦を恐れて。日英同盟は極めて強力な抑止力を発揮した。もう一つ重大な教訓は単独で戦うか否かの決定権が小国日本に有った点。安保法制で「米国の戦争に巻き込まれる」というプロパガンダが、いかに悪質であるかを証明する。
戦間期「謳歌論者」か
英国は資金や新鋭軍用艦の建艦・入手・回航と、あらゆる側面で日本を助けた。世界に拠点を有す英国は中立を装いつつ、ユーラシア西端~東端=極東を目指す露大遠征艦隊の通航や補給・休養寄港に際し、関係国にも工作し執拗に妨害。情報の通報など、事実上の軍事援助を断行した。現在、かつての英国並みの実力を持つ国は米国のみ。日本が米国力を利用する集団的自衛権の有利/有理を物語る。