人力車からたったの100年ちょっとで、日本の自動車産業と交通インフラが欧米のそれに伍する水準にまで高まったのは一人の日本人としてとても誇らしい。
しかし同時に、馬車時代から連綿と続く文化(哲学と言うべきか)的背景を持たない日本のクルマが依然追いつけない部分が残っていることも、この欧米自動車史との違いを知るとなんとなく腑に落ちるのである。
フロント搭載、リア駆動へ
馬車然とした造形が大きく変化したのは、エンジンをフロント搭載にしたあたりから。前部のボンネット内にエンジンを積み、チェーンではなくプロペラシャフトで駆動力を後輪に伝える方式、今で言うところのFRが主流となった。この構造変化によって、大排気量、大出力の大型エンジン搭載が可能になって、性能が大幅に向上。さらにキャビンを低くでき低重心になったことで、乗り降りが容易になり、走行安定性も高まっていった。
大衆化を加速させたT型のイノベーション
20世紀初頭の最大のトピックはやはりT型フォード(1908年、展示は1909年生産モデル)だろう。
ベルトコンベヤーを導入した流れ作業による大量生産(ライン生産方式)で製造コストを抑え、販売価格を一気に低廉化して、幅広い所得層に自動車を開放したこのモデルは、自動車産業のみならず、すべての製造業、そして工場労働のあり方を大きく変革した象徴的な工業製品と言える。
チャップリンがフォードでの工場見学に着想を得て制作した映画「モダン・タイムス」(1930年)を引用するまでもなく、ライン生産は工場経営者と消費者にとってメリットの多い方式である一方、単純作業の反復が労働者の人間性を喪失させるという批判もある。しかしながら、T型の生産でフォードが確立したこの方式に大手の競合各社が追従、敷衍したことで、現在に至る自動車の大衆化が大きく進んだこともまた事実なのだ。
欧州ではレースが流行
いち早く大衆化が進んだアメリカに対し、欧州ではまだ自動車は高価で、ユーザーは上流階級がほとんどだった。そのせいもあってフランスを中心に、自動車の使い道として趣味性の高い自動車レースが盛んに行われた。公道から始まったレースは専用のサーキットが作られて本格化。国際レースも開催されるようになり、各メーカーが自社の工業技術の高さをアピールする場として、ひいては国威発揚の場へと盛り上がっていった。