二つ目は外国人だけの記録がどれほどの意味をもつのか。
日本のプロ野球の例で考えてみよう。ホームラン数の外国人選手ランキングは、日本人のホームラン数が減っている時に日本人が話題にするだろう。あるいはマイナーの国の出身者の活躍を母国が鼓舞するために使う。
プロサッカークラブのプレーヤーは実力一本でピッチに立つ(ことになっている)。香川が英国の名門チームで活躍していることをまっとうに評価するに、こういう不自然なランキングは違和感を抱かせるだけではないか。
なにせオリンピックが「国別でメダル数を競い合うって時代錯誤じゃない?」とも言われる時代だ。
しかし、すべてのニュースで国籍を取り上げるのが無意味というわけではない。
海外で災害や事故があった時の「被災者に日本人の名前はありません」という報道だ。これに対してはかなり批判も多い。「日本人がいなかったから良かったと言っているようで視野が狭い」という。
が、「イタリア人はいませんでした」というコメントも聞くから、日本の報道だけを責めることでもない。それに、「日本人が含まれていなかったから良かった」ということではなく、日本語のニュースの視聴者には関係者が多いとの前提での表現だ。イタリア語であればイタリア人が視聴者のメーンである。
よってこういう表現が一概に悪いとは言えない。それでは今後、「国による識別」をどう考えると良いのか。