いや、正確には「再発見」だ。
塩漬けの干物にした鱈を戻しエキストラ・ヴァージン・オイルをかけて食べた味が忘れられなかった。宿泊先のレストランのメニューの一つだ。「乾物はこんなにも美味なのか!」と彼らは驚き、そして考えた。
もしかしたら鮮度の高さが一番という考え方に侵され過ぎているのではないか? 特に気仙沼のような港町ではその傾向が強く、新しい発想を生む阻害になっているのではないか? と。
しかも首都圏を市場とした場合、鮮度競争を行えば静岡の焼津のほうが有利だ。気仙沼は輸送にかかる距離で劣勢だ。
日本で、いつからか寿司は大衆的な食べ物になった。子供にも人気だ。「新鮮が一番」との神話が行きわたる。生魚は鮮度がよいに越したことはない。しかし鮮度の低い魚の利用率低下は廃棄される魚の増加を意味する。一方、ドライフードの地位低下がもたらす社会の弱点を正面から見据えてこなかった。そのことに学生たちは気づいた。
このバジリカータの経験から、持続性ある社会を目指すには「なんでも鮮度がベスト」という価値そのものを見直すべきではないか、との問題提起を彼らははじめた。
気仙沼の高校生たちがi.club でドライフードのレシピ研究をはじめたのは、こういう経緯が背景にある。