教育委員会、青年団、消防団、婦人会、協同組合といった官製組織の場合、そこに「消費者」としてのメリットがある間だけ村人は関与する。したがって、予算がなくなればすぐに名目化してしまう。
人々にとっては「村」さえもそのような集団であり、気に入らなければ替えてしまう、すなわち他の村に移ってしまうことも辞さない。日本のように、村さえあればたいていの組織は永続的に運営される、というわけにはいかない。
魅力的なリーダー、物理的あるいは精神的なメリット、円満な人間関係といったものがなければ、自立的で自由なミャンマーの村人たちは集団をいつでも離脱する。村の組織は泡沫(うたかた)のような存在なのだ。
ミャンマーで現在、雨後のタケノコのように、次々と作られているさまざまな「会社」についても、同じようなことが言えるかもしれない。