その菅氏は今年7月24日付のツイッターで、吉田調書についてこう書いた。
「吉田調書など(で)当時の状況が明らかになり、発生翌朝現地で吉田所長から話を聞き、撤退問題で東電本店に行った事も理解が増えています」
吉田氏の肉声はこれとは食い違う。政府事故調の聴取(23年7月22日)で「(菅氏は)何のために来るということだったんですか」と質問され、こう突き放している。
「知りません」
「行くよという話しかこちらはもらっていません」
さらに必死で作業を続けている所員らに菅氏が激励もせずに帰っていったことを証言している。
菅氏が震災発生4日後の15日早朝、東電本店に乗り込んだことにも冷ややかだ。同じ頃、現場でまさに死と向き合っていた吉田氏は7月29日の聴取で、テレビ会話を通してみた菅氏の東電本店での叱責演説についてこう語っている。
「ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かったことだけ覚えています」
「何か喚いていらっしゃるうちに、この事象(2号機で大きな衝撃音、4号機が水素爆発)になってしまった」