【Campus新聞】
福島県郡山市内にある仮設住宅で取材をすることができた十数人の話をどのように記事にしようかと、ベンチに腰掛け、メモ帳を見返していた。すると、近くでたばこを吸いながら休憩していた宍倉(ししくら)秀和さん(38)に話しかけられた。宍倉さんは仮設住宅の中にある富岡町社会福祉協議会の職員をしている。自身も避難者で、両親と妻、2人の子供は栃木県におり、郡山市に単身赴任中だという。
本当の気持ちとズレ
「このまま、あと数十年間単身赴任なのかもしれないなぁ」。たばこの煙を吐き出し、遠くをみながらつぶやいた。宍倉さんが単身赴任を始めたのは今年から。それまでは栃木県から郡山市まで片道2時間弱の道のりを毎日、車で通っていた。2年間の走行距離は15万キロにも及ぶ。
「子供の学校のこともあるし、栃木の方で新しい就職先を探そうかとも思った。でもやっぱり富岡の街と、あったかい人たちから離れられないだよなー」。富岡で暮らしていたころの勤め先は、原発事故後の避難で職員がバラバラになり、解散した。