【飛び立つミャンマー】内戦直前のコーカンの山村にて (2/3ページ)

2015.5.1 05:00

建国の父、アウン・サン将軍の出身地、ナッマウから来たビルマ人労働者たち。男女の区別なく働き、サトウキビの収穫量ではかった歩合制で賃金をもらう。日当換算で、郷里の3倍から4倍は稼げるという(筆者撮影)

建国の父、アウン・サン将軍の出身地、ナッマウから来たビルマ人労働者たち。男女の区別なく働き、サトウキビの収穫量ではかった歩合制で賃金をもらう。日当換算で、郷里の3倍から4倍は稼げるという(筆者撮影)【拡大】

 ケシに頼りきってきた農家の収入は当然激減し、それに対応すべく日本は99年に官民連携によりソバ栽培プロジェクトを導入したが、生産された全量を日本市場で買い取る仕組みであったため持続性に欠き、04年の国際協力機構(JICA)撤退後ソバ栽培は衰退した。これに取って代わるように興隆してきたのが、コーカンと隣接する中国雲南省の民間製糖企業によるサトウキビ契約栽培であった。

 私が訪れた時期には、主要道路はサトウキビを満載したトラックで渋滞をきたすほどであった。運転手は中国人で、サトウキビはすべて国境を越えて雲南に運ばれていた。

 農村調査を行ったコーカン中部および北部の山間村では、麻薬撲滅以前にはケシを村のずっと上方の冷涼な高山帯で栽培し、主食のコメは村の下方に開いた棚田で作り、焼畑ではトウモロコシを作付して豚の餌とし、村の近辺の斜面で茶やクルミを育てていた。

 撲滅以後、ケシ畑は森林に返り、自給作物であるコメとトウモロコシ、そして商品作物としての茶とクルミが残されたが、それでは以前の生活レベルを当然下回ることになる。サトウキビの契約栽培は、麻薬撲滅後の貧困化を防ぐ救世主であった。

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