新国立競技場のイメージ(日本スポーツ振興センター提供)【拡大】
□帝京大学非常勤講師・宮田正樹
このところ、2020年東京オリンピック・パラリンピックで主会場となる「新国立競技場」のデザインとその建設に関する論議が盛り上がっている。
国際公募で選ばれた建築家、ザハ・ハディド氏のデザインによる新国立競技場の建設案は、流線形の外観と開閉式の屋根を支える巨大な2本の弓状の構造物(キールアーチ)が建設費や工期を圧迫しているとして、デザインを根本的に見直すだの、屋根はオリンピック後に建設するだのと論議が続けられてきた。
ところが、文部科学省は、2本のキールアーチを残すなど現行のデザインのまま大手ゼネコン2社(本体部分は大林建設、屋根部分は竹中工務店の予定)と7月上旬にも契約を結ぶ方針を決めた。総工費は基本設計時の1625億円から約900億円膨らみ2520億円となる。
◆見積もりの倍額
新国立競技場の建設に関わる論議を見聞しながら、筆者は、1976年にカナダのモントリオール市で開催された第21回夏季オリンピックのメーン・スタジアムとして建設され、「Big O(ビッグ・オー)」という愛称を持つ「モントリオール・オリンピック・スタジアム」の姿を思い出し、その苦難の歴史をたどってみた。
モントリオール・スタジアムは、当時世界初とうたわれた開閉式屋根の巨大競技場として計画された。しかし、建設費は膨れ上がり、工事も遅れ、競技場は未完成のままオリンピックの開催に至った。屋根もオリンピックには間に合わず、大会の12年後の88年に簡易開閉式ながら、ようやくオレンジ色の屋根が設置されたという始末であった。