
ゲストハウスの部屋の前には、塹壕の中で銃撃戦に備えるミャンマー国軍兵士たちがいた=2015年2月、コーカン自治区コンジャン陸軍基地(筆者撮影)【拡大】
ある日、「今、中国側の道路をワ軍の装甲車7台がコーカン軍の加勢に向かっている」と、彼が私に話しかけてきた。これには少し驚いた。中国もワも、この内戦には一切関与していないと公式には発表していたからである。ちなみに、上官から兵士に至るすべての軍人がコーカン人を「タヨウッ(中国人)」と呼んでいた。「中国人ども(タヨウッ・ドェー)をやっつけろ」という雄たけびを中国本土の人々が聞いたらどう思うだろうか。
またある日、「コーカン軍が前に池がある大きな木の下に集結する」との無線を傍受した。ところが、この村がどこにあるのか誰にもわからず、コーカンの地理に詳しい吉田さんに尋ねていた。これではミャンマー国軍はなかなか勝てそうにないな、と思ったものだ。
他にもそのように思ったことがしばしばあった。ある夜、騒音が全くしないので熟睡できた。准尉に聞いてみると、「停電だったから無線傍受をしなかった」と言う。停電の時には停戦もするのだろうか。
また静かな夜に突然、「タ、タ、タ、タ」という大声と空砲で目覚めさせられることもあった。これは、「起きろ、起きろ、起きろ、起きろ」というミャンマー語で、兵士を眠らせないための手段だという。そのせいか、私もそして兵士たちも昼間は眠そうな目で日向(ひなた)ぼっこをした。凍えるように寒い夜を熟睡もできずに過ごした後の日光浴は最高だった。
◆先頭には士官
ところがある日、上層部から日向ぼっこ禁止令が出た。私は無視したが、兵士たちも半日ほどしかこれを守らず、またぞろ私の隣に並びだした。水浴禁止令も出たが、上官が水浴しているので、これも守られなかった。戦場では命がけで戦っているのだから、せめて基地内ではゆっくりさせろ、というのが兵士たちの考え方だった。兵士たちは「大尉や中尉といった尉官はたくさんいるのでどうなってもかまわないが自分たちは死ねない」とよく言っていた。