
焼畑地の中に点在する棚田群。写真上部の町は、チン州の州都ハカ町=2005年12月、ミャンマー・フニャーロン村(筆者撮影)【拡大】
そのような多種多様の中で共通しているのは、彼らが古来、狩猟採集民族だということである。そしていつのころからか移動しつつ耕作を行う焼畑が生業に加わり、定住化している今でも、チン丘陵では焼畑が広く行われている。たとえば、私が2004年から05年にかけて実態調査した、チン州の州都ハカ町周辺の農地の8割は焼畑だった。
焼畑を行うには、まず木を伐採し雑草を取り除かなければならない。この作業は収穫が終わった9月末から12月末まで行われ、2、3カ月ほど木や草を乾燥させた後、乾期末の3月中旬から4月上旬に火入れを行い、これらを焼き払って灰にする。その後、雨期の到来を見極めながら、4月下旬から5月下旬にかけて種まきを行う。火入れの1日以外に村の共同作業は一切ない。
種がまかれるのは、メイズ(トウモロコシ)、アワ、ゴマ、キマメやダイズなどの豆類である。中でもメイズは最重要作目で、チン人の主食である。この主食は固いフリントコーンを塩味でゆでるだけのもので、食べてみたがまずかった。
チン州はミャンマーの平野部からの交通の便が悪く、コメを移送すると高価になってしまう。そこで1950年代からチンの人々は棚田を作り始めた。コメの方が美味で、調理に時間や薪代がメイズほどかからないからである。山の中腹を走る幹線道路の下には、焼畑に交じって棚田が今でも次々に開発されている。だが棚田造りにはそれ相応のコストがかかるので、金銭的に余裕のある者しか棚田を造成することができない。コメは所得が上がると需要が減少する下級財だといわれるが、ここチン州では明らかに上級財である。