【飛び立つミャンマー】高橋昭雄東大教授の農村見聞録(46) (2/3ページ)

イノシシを撃ったボーガンを構えるジアダムの農民兼猟師。やじりには山で採集したトリカブトが塗ってある=2002年12月、カチン州・プタオ郡(筆者撮影)
イノシシを撃ったボーガンを構えるジアダムの農民兼猟師。やじりには山で採集したトリカブトが塗ってある=2002年12月、カチン州・プタオ郡(筆者撮影)【拡大】

 翌日の宿泊地はさらに6時間ほど歩いたワサンダム村。標高は900メートル、人口75、世帯数15で、うち13世帯がロワン族、2世帯がリス族である。その中に一人だけカレン族の男性がいた。彼は1946年にカチン州のパアンで生まれ、21歳で国軍に入隊してプタオに赴任し、2年後にKIA(カチン独立軍)との戦闘で重傷を負い3年間プタオの病院にいた。28歳になった74年に退役と同時にロワン族の女性と結婚し、プタオの町から歩いて5日ほどのパケー村に住んでいた。そして93年に同村の人たちが切り開いたこのワサンダムに96年にやってきた。

 当時は3世帯しかなく、ブッシュを山刀で開拓して焼き畑を、平坦(へいたん)地を犂と水牛で開拓して水田を造ったという。水稲は自家消費用で、主な現金収入源は焼き畑で作るアブラナである。これから油を搾って、徒歩でプタオの町まで売りに行く。雨期が終わった農閑期には、近くの川で漁をしたり、ボーガンでシカやイノシシを狩ったりする。村人は福音派のキリスト教徒で、収穫物や獲物の十分の一は教会に寄進する。

 ◆自由に農業や狩猟

 三泊めは、標高1085メートルにあるジアダム村。人口120、世帯数19、全員がロワン族で、チャーチ・オブ・クライスト派のキリスト教徒である。プタオの町から北に10日ほど歩いたナムサホン村から上サンガウン村を経て、1982年にこの地に入植した家族によって拓(ひら)かれた村だという。焼き畑だけでは十分なコメが得られず、水田を開いてコメを食べたい、というのが移動の動機だった。それでも水田を保有するのはわずかに7世帯で、残りは焼き畑でメイズや豆とともに作られる陸稲が頼りである。焼き畑も水田もイノシシの食害が凄(すさ)まじい。

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