しかし、この後、日本政府は中国の脅威にどのように備えるかを意識せざるを得なくなる。
3カ月後の65年1月のことだ。
首相になって初めて訪米した佐藤栄作は、米国防長官のマクナマラと会談し、日本は核兵器の開発・保有をしないと伝えた上で、「陸上への核兵器持ち込みには発言を気を付けてほしい。もちろん戦争になれば話は別で、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と要請した。
もし中国が戦争を仕掛けてくれば、通常兵器だけで攻撃してくる場合も含め、米国は核兵器を使って直ちに報復するよう、佐藤は要請したのである。
佐藤は核戦争を好んだわけではない。米国に、核兵器の先行使用を選択肢に含める態勢をとらせ、中国の侵略、暴発を抑止することを狙っていた。戦略的要請である。
実は、東西冷戦期には、その末期を除くほとんどの期間、欧州の自由陣営すなわち北大西洋条約機構(NATO)側は、通常兵力で圧倒的に優勢なソ連軍の侵略を防ぐため、ソ連軍よりも先に核兵器を使うことで対抗する戦略を立てていた。
このような態勢をとり、ソ連に侵略を断念させる抑止効果を狙ったのである。