サムスン、ヒュンダイ、ロッテ… 韓国を牛耳る“10大財閥”は日本が育てた (2/4ページ)

 財閥はどのように形成されたのか

 朝鮮戦争で壊滅的打撃をうけた韓国は1960年代後半以降、急速な復興を遂げ、大きく経済成長します。この復興と成長は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれます。

 朴正煕は1963年、大統領に就任し、軍事政権を率います。朴は経済建て直しを優先課題としますが、政策を推進するための財政的な余裕がありませんでした。そこで、朴は日本の援助を当てにし、日本に接近しはじめます。

 朴正煕は日本名を高木正雄といいます。日本の陸軍士官学校を留学生首席で卒業し、当時日本の支配下にあった満州国軍に所属していました。朴政権には、日本の陸軍士官学校出身者や日本留学経験者が多く、朴正煕が側近と密談をする時は、日本語を使っていたそうです(女性に聞かせられない下ネタ話も日本語でした)。

 朴ら首脳部は親日派で、日本に接近することに抵抗はなかったのですが、韓国の国民感情がそれを許しませんでした。朴政権の日本への接近は日本統治時代の屈辱を忘れ、わずかな支援金と引き換えに国を売る行為であると批判されたのです。

 朴正煕は反対派を弾圧し、1965年、日韓基本条約を調印します。これにより、韓国政府は日本から総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の支援を受けます。この額は当時の韓国の国家予算の2倍以上の額でした。この巨額の支援金を使い、政府が産業育成を主導し、「漢江の奇跡」を達成します

 また、朴は1964年、アメリカの要請で、ベトナム戦争へ韓国軍を派兵しました。ベトナム戦争の戦時特需が韓国経済にさらなる追い風を吹かせます。

 こうした状況の中で、「現代(ヒュンダイ)」のような財閥が台頭するのです。政府と財閥との癒着構造の中で、財閥は横断的なカルテルを結成し、中小企業、単純企業を不利な状況に追い込み、それらを吸収していきます。政府は財閥に有利な税制・補助金制度を拡充し、その権益を認めました。

満州国軍時代の「日本人上司」も尽力