【高論卓説】日米から学んだ中国の競争力 皮肉にも科学交流は貿易戦争の要因に (2/3ページ)

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 また、日本から技術や経営管理だけでなくODA(政府開発援助)も引き出した。79年に日本の対中ODAがスタートし、円借款は累計で3兆円を超え、中国が2010年にGDP(国内総生産)で日本を抜いて、世界第2位の経済大国に上り詰める原動力の一つとなった。

 一方、科学技術の分野において、トウ氏は米国の協力を引き出すことにも成功している。1978年7月に当時の米国カーター政権は、中国に科学者の代表団を派遣し、中国との本格的な学術交流を行った。中国政府はそれまで亡命を恐れて、科学者の米国への渡航を制限・管理してきたが、トウ氏は科学分野専攻の中国人学生700人の即時留学受け入れと、数年のうちに数万人を米国に留学させたいという大胆な目標の申し入れを行い、それを実現している。

 79年1月にトウ氏は訪米し、両国の科学交流を加速させる協定に署名し、その年に最初の50人の中国人学生が米国に留学している。その翌年には留学生はおよそ1000人となり、84年には1万4000人が米国の大学で学ぶようになった。ほとんどが自然科学、保健科学、工学など理系専攻である。

 今や海外留学する中国人学生は60万人を超えており、米国へは35万人が留学している。米国との科学交流が現在の中国の競争力を支えているのも間違いない。

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