今世紀中にドイツの人口逆転 フランス、産む国へ100年の執念 (3/4ページ)


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  • 今年5月、ベルリンで保育所増設を求める親たちのデモ(クリスチャン・マーカルト氏撮影)
  • 今年5月、ベルリンで行われた親たちのデモで「保育所なしに、生活なし」と書かれた看板を掲げる参加者(クリスチャン・マーカルト氏撮影)
  • ベルリン人口開発研究所のディネル研究員(三井美奈撮影)

 給付はフランス以上に手厚いのに、出生率は同じようには上がらない。政府の努力で15年に1.50、16年には1.60になったが、新生児は、ほぼ4人に1人が外国籍。15年に約100万人の難民・移民が流入した影響とみられている。

 戦争と人口

 両国の出生率の分かれ目は、戦争の経験が大きい。

 パリ政治学院のポールアンドレ・ロゼンタル教授は、「フランスで人口増強は、100年来の国策。ドイツに戦争で負けたのは、『人口で逆転されたからだ』という意識が染みついている」と指摘する。

 19世紀初めのフランスは人口約3千万を擁する欧州一の大国だった。英雄ナポレオンは徴兵制で巨大な国民軍を築き、欧州を制覇した。その後、出生率は低下。世紀末にドイツに追いつかれた。これと並行するように1871年、普仏戦争に敗北し、領土割譲を迫られた。第一次世界大戦では戦勝国になったものの国土が戦場となり、140万人が死亡。第二次大戦ではドイツに占領支配された。

 育児手当の創設は1932年。政府公認の「産み捨て」制度すらある。母親が匿名で育てられない新生児を病院に残し、国に養育責任を委ねる仕組みだ。

 一方、第二次大戦後の西独は、優生思想に基づくナチスの「民族増殖」政策の反省から家族への介入を敬遠した。子供への手当給付は54年に始まったが、貧困救済が重視され、保育所設置や働く母親の支援は進まなかった。女性就労を進めた東独もドイツ統一後、西独制度に吸収された。

 「悪い母親」

 ドイツの保育所整備の遅れには、保守的な家族観も背景にある。

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