論風

揺れ動く日本の近代化 悪しきナショナリズム回避を (1/2ページ)

 トランプ米大統領は米国第一主義を唱えて、外国人労働者の制限と産業保護を主張し、英国は欧州連合(EU)脱退だ。他の欧州諸国でも同様なナショナリズムのポピュリズム政党が勢力を伸ばした。いずれの背景にも国民の所得格差の拡大がある。日本も現政権の憲法改正や領土問題、安全保障問題が絡み、ナショナリズムに傾く若い世代が増えているが、背景に所得格差の急激な拡大がある。(早稲田大学名誉教授・田村正勝)

 20年周期の波

 芥川龍之介は昭和2年の自殺の前に「漠たる不安で堪らない」と友人に訴えた。これは大正デモクラシーの国際化(グローバリズム)から、軍国ナショナリズムへと転換することを感じ取ったからであろう。

 明治維新以来の日本は20年ないし25年周期で、国際化とナショナリズムの間を揺れ動いてきた。明治維新からの20年間は、文明開化の国際化の波が強まった。しかし明治の後半は殖産興業と富国強兵でナショナリズムが高揚した。

 次の比較的短い大正時代は、大正デモクラシーの国際化が展開されたが、龍之介の不安通り、昭和に入ると太平洋戦争の敗戦まで軍国ナショナリズムの嵐であった。

 戦後二十数年間は米国模倣の国際化によって、敗戦の苦境から立ち直り、その自信から昭和40年代後半から再びナショナリズムに走り始めた。時あたかも三島由紀夫が45年(1970年)に「文化防衛論」を説き、自衛隊で自害した。戦後の米国一辺倒社会を批判し、日本固有の文化を取り戻す文化ナショナリズムの過激な主張であった。しかしその後の日本は文化ではなく経済ナショナリズムにのめり込んだ。

 これは「輸出第一主義ナショナリズム」であり、貿易相手国の産業を瓦解させるほどの過剰輸出を続けて経済成長を誇った。それゆえ主要国から睨まれ、85年のプラザ合意を契機に、円相場は85年の1ドル=240円から87年には120円へと2倍の円高に見舞われた。

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