高論卓説

一帯一路とデジタル人民元 中国、通貨圏拡大の可能性高める

 私が初めて米国に赴任した1980年代、小切手を持って銀行に現金を引き出しに行くと、東京銀行のNY支店でさえ、窓口には長い列ができていて、自分の順番が来ると「ネクスト(次の人)」と呼ばれた。お世辞にも丁寧だとは言えない客扱い、日本の行き届いた窓口サービスになれた身には、驚きばかりだった。第1に小切手は非効率だと感じた。

 一方で米国では「葬式の代金はモルガン銀行のチェック(小切手)で支払いたい」というあこがれの願望がある。モルガンでは60年代でも10万ドル、今だと1億円以上の当座預金(金利がつかない預金)がないと口座が開けないと言われていた。当時の金利が3%だとして毎年300万円を支払えばモルガンの小切手が使えたことになる。

 こういう顧客は、列に並ばされて「ネクスト」にはならない。応接室で担当の今でいえばFP(ファイナンシャルプランナー)にいろいろとお金の相談に乗ってもらうことになる。

 翻って現代、コンピューターと通信技術の発達によって、こと入出金や送金に関する限りモルガンの応接室を訪ねることも、長い列に並ぶ必要もなくなった。しかしその分、銀行も人件費や経費だってかからないはずであり、さまざまな手数料はもっと安くならなければいけない。もっと突き詰めれば、本当に送金者と受け手の間に常に銀行が介在する必要があるのだろうかということになる。

 前置きが随分長くなったが、これが米フェイスブックの暗号資産(仮想通貨)「リブラ」が引き起こした騒動のプリミティブ(根源的)な疑問点である。金持ちの国、米国でさえ信用が足りなくて銀行口座を開設できない人は多い。こういう人たちは、受け取った小切手を現金化したりお金を送金したりするときに高い手数料を支払わされている。米国ですらこの状況なのに、発展途上国では銀行店舗のインフラさえないところも多いのだ。

 だが多くの人がスマートフォンは持っている。スマホがあれば世界中の誰にでもメッセージは送信可能である。であれば、貨幣を電子化して、スマホにインストールされたお財布アプリに入金できるようにすれば、銀行を介在させないでも、あたかもメッセージを送るように貨幣を送ったり受け取ったりできるようになるのではないか。

 そしてその通貨の真偽はブロック・チェーンなどの新しい技術が低コストで担保すればよい。リブラを提案した米フェイスブックの真意は分からないが、これこそがリブラの一連の騒動が覚醒させたテクノロジーと金融の関係である。

 中国がデジタル人民元を準備している。「米ドルとの覇権通貨戦争か」と騒ぐ向きもあるが、これはもっと地道な動きである。第二次世界大戦末期、ブレトンウッズ会議で米ドルの覇権が確定したが、あの頃は世界中で米国だけが皆が欲しいものを売っていたのだ。だから皆がドルを欲した。

 資本の自由化が進まず、国内経済に問題を抱える人民元がいきなり覇権通貨になることなどはないだろう。しかし「一帯一路」を展開する中国は地域の国の欲しい商品を提供できる。デジタル人民元の使用コストを低く抑えれば、銀行がなくても、その商品とともに人民元は次第に浸透してゆく可能性が高い。徐々に通貨圏を拡大していくのではないか。

 それよりもむしろデジタル通貨を実践していく段階で蓄積されるノウハウの方が貴重なものになるだろう。

【プロフィル】板谷敏彦

 いたや・としひこ 作家。関西学院大経卒。内外大手証券会社を経て日本版ヘッジファンドを創設。兵庫県出身。著書は『日露戦争、資金調達の戦い』(新潮社)『日本人のための第一次世界大戦史』(毎日新聞出版)など。

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