新潟県と愛知県のラジオ局が6月末、相次いで閉局した。地域の文化を担う存在として親しまれてきたが、広告収入の減少で経営状態が悪化し、改善が見込めなかった。これまで在宅時間のお供や、災害時の情報源として、ラジオは大きな役割を果たしてきたが、聴取者の高齢化やインターネットの普及など、業界を取り巻く環境は大きく変わってきている。専門家は「ラジオというメディアの価値が今一度、問われている」と指摘する。(文化部 三宅令)
大口スポンサーの撤退
「閉局を告げられたのは、発表の1週間前。突然のことで、びっくりして笑うしかなかった」
6月末に閉局した「新潟県民エフエム放送(FM PORT)」で、開局当初からパーソナリティーを務めてきた遠藤麻理さん(47)は、その日のことを振り返る。
同局は県内全域をエリアとする民間FM局。ほぼ全ての番組を自社制作し、地域に密着した放送局として親しまれていた。
「今年の12月で開局20周年だった。小さいときに母親と一緒に番組を聞いていた子が就職したことを教えてくれたりとか…。リスナーとの思い出は尽きませんね」と話す。
閉局は広告収入の減少による経営悪化が主な原因だ。大口スポンサーから今後の広告出稿を取りやめる意向が示されたことが、決定打になった。新型コロナウイルス禍で在宅時間が増え、これまで縁遠かった若年層も、ラジオを聞いてくれるようになったと感じていた矢先の出来事だった。
「ラジオの良いところは1対1の距離感。こういう時こそ、リスナーのそばにいたかった」
「娯楽の王様」競争の時代
名古屋市のFMラジオ局「Radio NEO(レディオネオ)」も6月30日、経営悪化を理由に閉局した。
「初めてラジオに自分の曲が流れたときは感動した。『自分たちも売れたなあ』って思ったものです」
デビューから半世紀の兄弟デュオ、ビリー・バンバンの菅原孝さん(75)と、進さん(72)はラジオが覇権メディアだった時代を知っている。
ラジオは戦前から昭和の庶民の娯楽だった。テレビの台頭でその地位を追われたが、深夜放送や高音質のFM放送などがブームとなり、独自の魅力を確立。平成7年の阪神・淡路大震災では、災害時の頼れる存在として注目された。
一方でリスナーの高齢化は進んだ。NHK放送文化研究所によると、1日のなかでラジオを聴く人が最も多い年齢層は、昭和50年は16~19歳だった。平成7年は50代が最も多く、27年は70歳以上となっている。