高論卓説

陳舜臣と李登輝、大政治家と大作家の関係 なお険しい日中台関係をどう論じるか (2/2ページ)

 大政治家と大文豪たちの人間関係がつながっていく様子が浮かび上がってくる。

 「台湾紀行」では、陳舜臣さんが司馬遼太郎さんを相手に「街道をゆく、台湾まだやな」と声をかけたところが語られている。陳舜臣さんの一言から「台湾紀行」が書かれ、「台湾人に生まれた悲哀」という李登輝さんの名言が生まれた。

 冷戦の終わった90年前後は時代の大きな節目だった。陳舜臣さん自身の人生も大きく変わった。展示から72年の日中国交樹立以来、驚くほど頻繁に中国を訪れたことが分かる。陳舜臣さんは書物で得た知識を現地訪問で肉付けし、歴史作家として飛躍した。中国の未来に期待も抱いたが、89年の天安門事件に憤慨して中国国籍を放棄し、日本国籍を取得。同時に台湾への里帰りがかない、台湾傾斜を一気に強めていった。

 陳舜臣さんは台湾人として生まれ、日本人として育ち、中国人にもなり、最後はまた台湾人に戻って豊かな作家人生を全うした。日本、台湾、中国の間を波乱の時代に駆け抜けた陳舜臣さんの一生は、自身が筆をふるったドラマチックな歴史小説のようなものである。

 いま、台湾への中国の軍事的威圧は強まり、日中関係も尖閣諸島をめぐって緊張を続けている。2021年の日中台関係はなお険しい。私たちの歴史は前に進んでいるのか、後退しているのか。日本の文壇に燦然(さんぜん)と輝いた歴史作家なら、どう論じるだろうか。

■野嶋剛(のじま・つよし) ジャーナリスト。大東文化大学特任教授。朝日新聞で中華圏・アジア報道に長年従事し、シンガポール支局長、台北支局長、中文網編集長などを務め、2016年からフリーに。『ふたつの故宮博物院』『銀輪の巨人 GIANT』『台湾とは何か』『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』『香港とは何か』など著書多数。

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