総理に求められる確たる国家観
私には、菅官房長官が総理になるというのは、ジョゼフ・フーシェがナポレオンの後継者になるようなものに思えた。菅総理就任時には、国民の支持率は70%を超えた。それは、安倍前総理が退任を表明した途端にうなぎのぼりになった安倍政権の支持率を引き継いだものだろう。
その支持率は、国民の多くが安倍前総理が病魔に冒され無念にもやり遂げることができなかった課題を、“安倍後継”を謳(うた)って総理となった菅氏が安倍前総理に成り代わってやり遂げてくれると期待したことを示すものとも言える。
しかし、その後の推移を見ると必ずしもそうはなっておらず、国難とも言える災厄、新型コロナウイルスの蔓延に対しても、国民に安心感と自信を与える道筋を示すことはできていない。最近の著しい支持率の低下は、当然と言えば当然であろう。
国民は、自分の国や社会が危機になればなるほど、最高リーダーである総理を見る。総理は官房長官と違って、自分の持っている権限によってではなく、自分の語る言葉によって、その言葉を発するときの姿勢によって、表情によって、眼によって、国民の心をつかみ、国民に自信と安心感を与えなければ支持を集めることはできない。
そのためには、菅総理自身に確たる国家観、時代を見通す鋭い洞察力があることが不可欠だ。私は、菅総理にそれらが備わっていると信じたい。菅総理とジョゼフ・フーシェとを並べて論じることが誤りであることを切に願う。
【疾風勁草】刑事司法の第一人者として知られる元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行さんが世相を斬るコラムです。「疾風勁草」には、疾風のような厳しい苦難にあって初めて、丈夫な草が見分けられるという意味があります。アーカイブはこちらをご覧ください。