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ホンダに軽は不可欠な存在 伊東社長「日本で生きていくために」
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ホンダの伊東孝紳社長
「(2008年の)リーマン・ショック以降、世の中や経済の構造が変わった。当社は環境意識の高まりに対応してハイブリッド車(HV)のラインアップを増やすとともに、軽の開発を強化してきた。臥薪嘗胆の3年間だったが、Nシリーズは非常によいアウトプットとなった。ホンダが日本で生きていくために軽は不可欠な存在となり、2012年はリーマン・ショック後に手を打ってきたものが成果として表れた記念すべき年だった」
「国内の軽市場はスズキ、ダイハツ工業の2強が切磋琢磨(せっさたくま)する時代が長らく続いていたが、ユーザーにとっては毛色の違うホンダの軽が出てきたことで新しい選択肢が出てきた。生産体制では、東日本大震災で本田技術研究所(栃木県)が被災したのをきっかけに、鈴鹿製作所(三重県)に軽の開発から生産、購買、営業を集結させ、Nシリーズに関することはすべて鈴鹿で完結する体制を指示した。東京本社や栃木の方を向くな、と。社長が口を出さなかったことも要因かな」
「新車販売の4割強を軽が占めるとみている。当社は市場の動向に沿って国内販売目標100万台のうち、4割の40万台程度を売っていきたい。もちろん、ミニバンやスポーツカーなど全領域でユーザーの要求に対応できる能力は必要だ。日本をはじめ全世界で今年発売する新型フィットもさらに進化しており、軽とフィットの二本柱で販売目標を達成したい」
「開発はしているが、まずは新興国向け専用車『ブリオ』の定着を優先する。ブリオは発売直後にタイの洪水の影響を大きく受けたが、インドやタイで販売が伸びてきた。将来的には(新エンジンで)もっと現地の需要にこたえていく必要があるが、当面はない」
「順調にいけば春ごろとみているが、もう少しかかるかもしれない。現状は来店数も戻り、成約も不買が起きる前の7~8割まで回復した。広州工場は早々に昼夜2直体制に戻し、販売店は春節商戦を大々的に展開する計画だ。タイ洪水で甚大な被害を受けたときも『ホンダはアユタヤを離れない』とすぐに宣言した。今回も雇用は確保し、従業員に安心して働いてもらう」(古川有希)
いとう・たかのぶ 京大大学院修了、1978年ホンダ入社。本田技術研究所社長、鈴鹿製作所長などを経て、2007年専務、09年6月から現職。静岡県出身。