SankeiBiz for mobile

作曲家で努力したのに…歌手でヒット、広瀬香美さん今語る葛藤 冬の女王20年(中)

ニュースカテゴリ:企業の情報通信

作曲家で努力したのに…歌手でヒット、広瀬香美さん今語る葛藤 冬の女王20年(中)

更新

 詞の世界は等身大の私

 --大学卒業後は?

 広瀬 作曲家になることを目指してロサンゼルスにとどまりました。レコーディングのアシスタントをしたりしながら。レコーディングのための運転手や通訳もしました。

 --歌手になりたいとは考えていましたか?

 広瀬 デビューするまで、歌手になるつもりはまったくありませんでした。ただ、自分の曲を聴いてもらいたいので、自分で歌を録音してデモテープを作りました。それを、知り合ったレコード会社の人に配っていました。そんなことを2年続けたとき、「アルバムを1枚作りませんか」という話があって。それでデビューアルバムを制作できました。

 --念願の作品ですね

 広瀬 うれしくて、うれしくて。毎日レコード会社に行っては、見本盤が並んでいる棚から自分のアルバムを取って持ち帰っていました。家には80枚くらいため込んで、音楽関係者に配りまくっていました。

 --シングルは?

 広瀬 すぐにお話がありました。曲は映画のタイアップ曲になり、ヒットしました。それが「愛があれば大丈夫」です。

 --多忙な毎日の始まりですね

 広瀬 デビューしてからしばらくの間のことは全然覚えていないんです。忙しすぎました。そのころはコンサート活動はしていなかったのですが、テレビに出演して、曲を書いて。デビューしてから作詞の勉強を始めました。なかなかできなくて、泣きながら詞を考えていました。アイドル歌手が「忙しくて休みもありません」なんて言っているのを聞いて、「本当かな」って思っていましたが、本当なんだなって妙に納得しました。

 --生活が一変しました

 広瀬 歌手としての名前が独り歩きしてしまって。本当は作曲家として努力してきたのに、曲はそれほど評価されず、偶然始めた歌で評価されたということで葛藤がありました。でも、作曲家として評価されるよう努力してゆこうと我慢していました。

 --詞を書くのは慣れましたか?

 広瀬 環境だと思います。「月内に3曲」といった締め切りがあると、作らなければならない状態に追い込まれて、できるようになるんですね。だんだん楽しんでできるようになりました。

 --詞のヒントはどのへんに?

 広瀬 基本的には詞の世界は等身大の私なんです。それから、音楽学校で教えていて、生徒たちの相談を聞くことがあります。そんな中に歌詞のヒントがあったりしますね。

 --どうして音楽学校を始めたのですか

 広瀬 ほかのアーティストに楽曲を提供するうちに、ボイストレーニングを頼まれることが増えてきました。トレーニングをすると、「高音をもっと伸ばしたい」と考えている人や「すぐに声がかれるのがいや」と悩んでいる人が少なくないことに気づきました。それならばと、今まで学んだメソッドを教材にまとめ、本格的に教えてあげようと思いました。

 --一層忙しくなりますね

 広瀬 悩みが解消されるのを手伝うのは大きな喜びです。それに、歌うとどんな人でも元気になります。それを体感してもらえるというのは楽しい仕事です。もちろん最初は大変だったのですが、今は私が直接指導した講師が増えたので、私の教える負担はそれほどありません。(櫛田寿宏)

ランキング