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シャープなぜ創業精神守れなかった “ゾンビ経営者”との決別なるか
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シャープの中期経営計画説明会終了後、経営信条を報道陣に見せる高橋興三副社長=5月14日、東京都千代田区 経営再建中のシャープ次期社長、高橋興三副社長は5月14日に都内で開かれた社長交代会見の場で、「新生シャープはどういう会社か」と問われ、一枚のカードを懐から取り出した。書かれていたのは創業者、早川徳次氏の言葉をもとにした経営理念で、「いたずらに規模のみを追わず…」とはじまる。
シャープは世界最大規模の液晶パネル工場を堺市に建設した結果、経営危機を招いた過去との決別を目指すが、経営陣の刷新を発表した後も「居座りを求める“ゾンビ経営者”たちの動きがあった」(関係者)という。
「全部正しい。すばらしい創業の精神があったのに…」。
高橋副社長は会見後、表裏に経営理念と経営信条が書かれたカードを記者やカメラに向けながら、こう唇をかみしめた。
経営理念にはこうある。
「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する…」
さらに経営信条には「二意専心 誠意と創意 この二意に溢(あふ)れる仕事こそ、人々に心からの満足と喜びをもたらし真に社会への貢献となる。(中略)勇気は生き甲斐(がい)の源なり、進んで取り組め困難に」と書かれている。
関係者によると、世界的な景気減速などで経営環境が厳しくなってきた数年前から「創業精神への原点回帰」の意味を込めて、社員がカード化して携帯するようになった。早川氏の言葉をもとにした経営理念と経営信条は2代目社長の故・佐伯旭氏、3代目社長の辻晴雄氏(現特別顧問)も業績不振などに直面した際、「経営の原点」として社内の求心力を高めるためにアピールした金科玉条だ。
シャープの経営危機の原因は、液晶への巨額投資といわれる。平成16年、稼働した亀山工場(三重県亀山市)で生産した液晶テレビは最先端技術の象徴として「亀山モデル」と呼ばれ、国内を中心に爆発的に売れた。当時の社長、町田勝彦氏(現相談役)は「液晶の次は液晶」として液晶分野に経営資源を集中した。
ただ、海外市場ではシェアは伸び悩み、国内市場だけの内弁慶とも言われていた。そのこともあり、町田氏の後継社長、片山幹雄氏(現会長)は19年、堺市での世界最大規模の液晶パネル工場の建設を決断した。
大画面の液晶テレビを効率よく量産するための4千億円超の先行投資で、ライバルのパナソニックやソニー、韓国サムスン電子との世界市場での競争に挑んだ。シャープの18年の世界シェアは11・5%だったが、片山氏は「最低でも15%、20%を目指したい」と規模を求めた。
このとき、シャープは世界市場を射程にとらえた絶頂期にみえたが、すでに薄型テレビの価格下落による消耗戦に苦しんでいた。やがて部品を集めて組み立てれば、一定の性能を持つ製品がつくれる時代に突入。心臓部の液晶パネルすら製造装置さえ導入すれば比較的簡単に製造でき、安い人件費を使って安価な製品を量産できる台湾や韓国勢が台頭していた。
技術的に汎用(はんよう)化が進んで差別化が難しくなったことで価格下落がさらに進み、「売れば売るほど赤字になる」(家電大手幹部)状態になった。
結局、世界的な景気減速も逆風になって需要が思うように伸びず、21年に稼働を始めた堺工場の稼働率は3割程度(24年4~6月)に低迷し、大量の在庫を積み上げた。経営理念に背を向け、「身の丈を超えた」(関係者)ことが経営危機につながった。
シャープは6月25日付で片山会長がフェロー(技術顧問)、奥田隆司社長が代表権のない会長にそれぞれ退き、高橋副社長が社長に就任する。取締役は現在の12人から9人に減らし、町田相談役と辻特別顧問も退任の方向という。
ところが、シャープ再生に水を差す動きもみられたという。関係者は「だれとは言わないが、(社長交代を発表した後も)専用車と執務室、秘書の確保を求めて居座る構えの旧トップがいた。
3千人もリストラしたうえ、社員の給与をカットしたのだから、そんな“ゾンビ経営者”たちの退場は当然だ」と話す。
旧経営トップの責任について、高橋副社長は「確かにハードウエアの時代が終わりつつあるなか、その投資に執着した。ただ当時の日本の流れはそうで、個人の責任ではない。私にも責任はある」と、一定の理解は示した。
しかし、シャープは平成25年3月期連結決算で5453億円の最終赤字を計上し、前期の3760億円から赤字幅が拡大。製造業では20~30%が健全とされる自己資本比率は6・0%まで低下している。主要取引銀行2行は融資枠を設定して支援する姿勢をみせているが、取締役常務執行役員を派遣するなど管理を強める。
事業売却など切り売りではなく、かつて数々のヒット商品を世に送り出したシャープのDNAを残しながら再生を果たせるのか-。高橋副社長は「絶対に(再生)します。それだけのポテンシャルは社員にある」と断言する。
創業者の早川氏は関東大震災で工場だけでなく、家族も失いながら大阪で再起した人物だ。経営信条の最後の言葉、「進んで取り組め困難に」は、苦境に陥った現在の社員にこそ当てはまる。
ただ、前任の奥田社長は、退任したはずの町田氏や片山氏に提携交渉などで口出しされ、「誰が本当のトップなのか」と疑念を抱かせ、経営再建に実績を残せなかった教訓がある。
佐伯氏、辻氏、町田氏は縁戚関係で、歴代の社長経験者が経営に口出しする同族経営の風土が残されていたといわれるシャープ。高橋副社長が、そうした過去も含めて“ゾンビ経営者”たちとの決別を果たせなければ、奥田社長の二の舞となる恐れがある。(松岡達郎)