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ソフトバンク参入で激変した市場 業界にADSL“旋風”巻き起こした孫社長の執念
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ソフトバンクは従来の半値でADSLサービスに参入。モデムを無料で配り、シェアを伸ばした=2002年10月、東京都渋谷区(同社提供)
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ソフトバンクグループが2001年9月に提供を始めたADSL(非対称デジタル加入者線)方式のインターネット接続サービス「ヤフーBB」は、1985年の通信自由化以来、最大の衝撃をもたらした。
ADSLは、電話回線を使ったブロードバンド(高速大容量)通信のDSL(デジタル加入者線)のうち、利用者がサーバーからデータを取得する「下り」とデータを発信する「上り」の回線速度が異なるサービス。ソフトバンクはNTTの局舎に自社の装置を置き、毎秒数メガ(メガは100万)ビットから数十メガビットの高速通信を実現しながら、業界でそれまで月額5000円前後だった料金を約3000円と半値程度に引き下げた。
ネット接続事業を国内で初めて商用化したインターネットイニシアティブ(IIJ)社長の鈴木幸一(68)も「これで市場が激変した」と、ヤフーBBの参入を振り返る。競合他社は料金の引き下げを余儀なくされたが、ADSLモデムの街頭での無料配布や宣伝攻勢で顧客を伸ばしたヤフーBBは2年半でNTT東日本と西日本の合計と肩を並べ、トップシェアに躍り出た。
ソフトバンク社長の孫正義(57)は通信業界の“慣例”と正面衝突すると、しばしば物議を醸す行動に出た。現在、首相秘書官を務める山田真貴子(54)も孫の言動に驚いた一人だ。
ソフトバンクのADSLサービスはNTT局舎内の工事が遅れた影響で開始時期がずれ込み、契約者のクレームが総務省の消費者苦情センターに殺到。センターの室長だった山田は2001年6月、孫を呼んで「ここには10人のスタッフがいるが、ソフトバンクへの苦情相談がさばき切れない。迅速に開通してほしい」と要請した。
話を聞いていた孫は急に激高し「この状態が続くなら僕は終わりだから、事業をやめると記者会見して、その帰りに総務省の前でガソリンをかぶる」と大声を張り上げた。同席していたソフトバンクの宮本正男(67)は「NTTの工事遅延を防ぐためのルールを総務省が作らないからだという気持ちが強かったと思う。ただ、ガソリンは前にも聞いたせりふだった」と当時を思い出し、苦笑する。
10年5月に開いたスマートフォンの発表会でも孫は「ツイッターにフィルタリングをかけたら、総務省にガソリンをぶっかけて火をつける」と発言。ネット上でも批判され、ツイッターで「不適切発言おわびします」と弁明したものの、「ガソリン発言」は業界に響き渡った。
ヤフーBBが無料でモデムを配ったり、他社より大幅に安い料金を設定できたりしたのは、契約100万件を前提にモデムや通信設備を大量に安く調達したからだった。当初は無料で借りられたNTT局舎内のADSL用伝送装置のスペースを全て“占拠”し、他のADSL事業者の怒りを買ったこともある。
ADSL事業の立ち上げを担当した宮本は、NTTデータでシステム開発を20年間担当した後、長距離通信事業者の日本高速通信(現KDDI)、CATV事業者のタイタス・コミュニケーションズ(現JCOM)を経てソフトバンクに入社した。
ソフトバンクの急成長を目の当たりにした宮本は「孫さんは運も強いが、事業への執念は他の新電電トップより一桁違う」と舌を巻く。06年の携帯電話事業参入時に「10年以内にドコモを抜く」と豪語した孫は、低料金戦略や米アップルのスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」投入、さらにM&A(企業の合併・買収)で契約数を一気に伸ばし勢力図を塗り替えた。
総務省の調査によると、ソフトバンクは、14年12月末のモバイルサービス全体のシェアは、29.4%となり、KDDIの28.4%を抜いて2位に浮上した。ドコモの42.2%には及ばないものの、15年3月期の連結営業利益は9000億円を見込み、14年3月期に続くドコモ超えを確実にした。競合他社も「サラリーマン社長にはできない決断力を持つ」(NTT幹部)と、その手腕を評価せざるを得ない。
一方、通信自由化に総合商社が果たした役割は大きい。商社の多くは自由化後に設立された新規通信事業者にまんべんなく出資し、人材も投入。その後の株式上場や再編によって100億円以上の利益を手にした。
後にジュピターテレコム(JCOM)の初代社長に就く西村泰重(79)も住友商事の情報産業企画開発室で、通信自由化による新市場創出を新たなビジネスチャンスとみていた。
郵政省(現総務省)は1993年春にCATV関連法を抜本改正。50%以上の地元資本や営業区域の限定を課していた規制がなくなり、30%未満とされていた外資規制も撤廃された。
規制緩和を求めて郵政省に足しげく通ったのが、CATV事業への本格参入を検討していた西村だった。「CATV市場の自由化を模索していたらしい郵政省にとっても、渡りに船だった」という制度改正を機に住商は95年1月、米テレコミュニケーションズ(現リバティー・グローバル)と合弁でJCOMを設立した。
阪神・淡路大震災の翌日、国内が混乱する中で発足したJCOMだが、地域CATV会社を相次ぎ傘下に収め、業界最大手に成長。電話やインターネットへと事業範囲を広げ、12年にはKDDIの連結子会社となった。
KDDIは電力系通信会社に続き、家庭につながる「ラストワンマイル」と呼ばれる通信回線の獲得に走った。しかし、NTTグループの光サービス卸によって、設備投資の優位性が揺らぎ始めているのも事実だ。(敬称略、年齢は現在)