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NTT民営化は成功だったのか… 経営トップ3名に通信自由化を聞く
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鵜浦博夫・NTT社長
NTT民営化後の30年でわが国のICT(情報通信技術)市場は大きく発展し、世界に類を見ない光ファイバー網やモバイルブロードバンド(高速大容量)など先進的な通信環境を実現した。しかし、ICTの利活用では立ち遅れが目立ち、サービスや製品開発力の国際競争力は危機的状況ともいえる。連載では、通信自由化後に競争を導入し、事業を立ち上げた当事者の取材を通じて苦闘や課題を探ってきた。民営化されたNTT、巨大企業に成長したKDDI、インターネット事業に先鞭(せんべん)をつけたインターネットイニシアティブ(IIJ)の経営トップにそれぞれの通信自由化を聞いた。
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--NTT分社以来、最大の機能再編となる光サービス卸が曲折の末にスタートした
「10年以上、NTTも総務省も光回線が通信サービスのメーンという発想だった。一言でいうと、メーンプレーヤーが光回線を使うお手伝いに徹するということだ。産業界に化学反応を起こす触媒役を担う」
--規制会社から規制の緩い会社への事業シフトになる
「NTT東西地域会社は規制でモバイル事業がやれない。NTTドコモの競争力が低下するなかで、ドコモだけ固定・携帯の一体サービスができないのはおかしい。光サービス卸によってドコモのシームレス(つなぎ目のない)サービスに道を開いた」
--触媒役のNTTのうまみは
「法人向け事業にシフトするNTT東西は“BツーBツーX”のビジネスになるが、Xは行政や地場産業や観光などさまざまだ。新しいサービスが生まれればクラウドなどのビジネスモデルで稼げる」
--「新しいサービス」は容易に生まれるのか
「ICT分野の新サービスは既存のエコシステム(市場構造)では難しい。岩盤のようなエコシステムがある日本では、コラボレーション(協業)しかない。破壊ではなく、うまく塗り替えるような。米国式でない共存型ビジネスモデルは、アジアなど新興国でその国の多様なエコシステムに対応できる。東京五輪や政府の地方創生政策はいい機会になる」
--東京五輪では通信環境の整備やセキュリティーが大きな課題だ
「競技会場や鉄道などで通信環境の標準化が必要だ。ゴールドパートナーとして約20カ所の競技会場で通信設備を構築する権利があるため、仲間作りをして統一した環境を整える。セキュリティーでもコラボしないと脆弱(ぜいじゃく)な部分から破られる。日本式の共存型ビジネスモデルを作る契機にしないといけない」
--民営化30年をどうみてきたのか
「局面、局面で苦労はしたが、5兆円の売り上げが市場全体の半分の11兆円に増えたのだから、民営化は成功といえる。市場の大きな変化にかなり対応できているのではないか」
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--NTT民営化後、通信市場は大きく成長した
「通信業界の競争政策は本当に国民が望んでスタートしたのだろうか。国鉄民営化のように、国民が『NTTは民営化しないと駄目だ』と考えていたら競争政策の必要性が理解されやすかった。日本電信電話公社のサービスが悪かったわけではなく、政治主導で民営化が決まった。それを受けた郵政省(現総務省)が競争導入で一枚岩だったかどうかは疑問だ」
--NTT民営化とほぼ同時に退職して第二電電(DDI=現KDDI)に入社した
「当時の電電公社内は真藤恒総裁以外、民営化には反対だった。真藤さんはNTTを地域分割すべきだという考えがあったが、郵政省にそこまでの意識があったわけではない。社内では私も含めて、民営化されると役所と力関係が変わり官僚が事業に介入してくるという危惧があった」
「1983年にNTTの先輩で先にDDIに入った千本倖生さんに誘われたとき、計画していたマイクロ波による基幹網構築を『全部任せてくれるなら』という条件で転職を決めた。翌年の連休明けに私を含めてNTTの技術系社員5人が同時に辞表を出したので社内は大騒ぎになった」
--NTTグループが光回線を企業に開放し、新サービス創出の触媒役を目指すという
「私はNTT分社直後の2000年にNTTのアクセス系光回線を開放すべきだと主張した。NTTが始めた光サービス卸はそれに近いことだ。光回線の重要性は大きくなっていく。KDDIの光サービスの通信速度は2ギガビットだが、そのうち10ギガビットになる。4Kの高精細動画の端末が普及すれば光回線の必要性がさらに高まる」
--NTTの持ち株会社体制は競争環境に合わなくなった
「NTT分社時に東西地域会社間の競争が導入されたが実効はなかった。持ち株会社がNTT東とNTT西の株をある程度売却して他の通信事業者との提携や合併を促す“触媒”になるべきだった。KDDIはNTT東との合併の可能性を考えていた。携帯電話事業者のNTTドコモが販売目標を設定してまで『ドコモ光』を売るのは、株主にとっては利益相反だ。親子上場のガバナンス(統治)上、大きな問題といえる」
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--通信自由化後、日本でインターネット事業を始めた
「行政は『カネのないやつが通信事業をやるとは何事か』と考えていた。日本では(大資本の)通信事業者がつぶれたことはなかった。私はクロスウェイブコミュニケーションズ(CWC)をつぶしてしまったが、第一種通信事業者初の倒産だった」
--自由化後の新規参入事業者をどうみていたのか
「自由化はいいが、同じサービスでどんな競争ができるのかと思っていた。違う技術で競争するなら面白いが、同じ電話サービスしかできないなら競争にならない。巨大なNTTとどう勝負するつもりなのかわからなかった」
--1992年にインターネットイニシアティブ(IIJ)を設立したが、郵政省(現総務省)との折衝に苦労した
「村井純さん(慶大環境情報学部教授)から『資金はあるから』と誘われたけれど、一銭もなくて、結局、私財まで投じるはめになった。当時は文部省や科学技術庁(現文部科学省)が国家予算で研究ネットワークを構築していた関係で学者がインターネットを毛嫌いして、それが郵政省の判断にも影響を及ぼしたのかもしれない。郵政省からは『3年間無収入でも倒産しない資金力』という内規があると言われて、そんな金はないから困った」
--国を相手にけんかしてまで日本初のインターネット事業にこだわった
「私が一番貧乏くじを引いたが、なんとしても成功させたかった。でも、自己破産しそうになって、当時の郵政省官房長官に直談判した。行政訴訟を口にしたのが効いたかもしれない。幅広い企業に1500万円ずつ出資してもらう条件でようやく認めてもらった」
--“打倒NTT”と言ってきたが、CWCが倒産して最終的にはNTTの出資を受けて経営再建した
「電話からインターネットへ、という思いから『打倒NTT』だった。NTTが経営に口を挟むことはないし、財務的にはほとんど無借金に近い。ネットワーク関連に投資しており、今後は基幹網を100ギガビットに大容量化したり、放送を取り込みたい」=おわり(この連載は芳賀由明が担当しました)