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手塚治虫を知らない若者たち…「エヴァ」は“崖っぷち”の記念館を救えるか
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“漫画の神様”の功績をたたえる宝塚市立手塚治虫記念館の来館者が年々減少している。没後20年以上たち、手塚作品を知らない若者が増えたことが一因とみられる。そこで同館は「エヴァンゲリオン」など現代の人気アニメとのコラボを企画したり、手塚アニメが放映されている海外からのツアー客に施設をPRしたりと集客作戦を展開している。(竹内一紘)
手塚氏は大阪府豊中町(現豊中市)で生まれ、昭和8年、兵庫県小浜村(現宝塚市)に移り住んだ。
少年時代は、ペンネームの「治虫」の由来となる昆虫採集に明け暮れた。記念館には手塚氏が中学のころに描いた昆虫の絵が残っている。また、小学生のころからたびたび鑑賞した宝塚歌劇が「リボンの騎士」などの作品に大きな影響を与えたという。
17歳で漫画家デビューすると、宝塚歌劇の専門誌「寶塚グラフ」に漫画を掲載。東京で漫画家としての活動を本格化させるため、27年に宝塚を離れたが、34年10月に悦子夫人との結婚式を市内の宝塚ホテルで挙げている。また晩年の作品「アドルフに告ぐ」で、物語の導入となる殺人事件の現場を「小浜村」とするなど、宝塚への思いの深さがうかがえる。
平成元年に手塚氏が亡くなると、宝塚市は手塚氏を顕彰する施設の建設を計画。手塚プロダクションのバックアップも受け、記念館の設立が決まった。建物のプロデュースを長男の眞さんが手がけ、悦子夫人が名誉館長に就任し、6年4月25日にオープンした。
館内には、デビュー作をはじめ約500冊の初版本や、ベレー帽や眼鏡などの手塚氏の愛用品、漫画の下書き、アニメのコンテなど約1000点を展示。開館後は手塚ファンが続々と訪れ、初年度は阪神大震災の影響で7年1月17日から2月末まで休館したものの約54万人が来館した。
しかし翌7年度は約28万人となるなど、来館者数は年々減少を続け、開館から10年の16年度は約14万人と初年度の4分の1程度に。さらに開館15年の21年度は約8万6千人と、10万人を割り込んだ。
同館の前川猛館長は「最初は珍しさもあって入館してもらえたが、昔からの手塚ファンは家で作品を読んで満足していたのでは」と話す。
手塚氏が亡くなってから時がたち、手塚作品が雑誌などで連載されていたことを知らない人など、なじみのない世代が増えてきたことも一因とみられる。
そこで同館は新しい手塚ファンの開拓に乗り出すことに。
まず着目したのは海外のファンだ。鉄腕アトムが米国や中国、台湾、韓国などで放送されていたため、海外の旅行会社などに協力を呼びかけ、旅行客に手塚漫画と同館をPRした。
22年9月からは館内で英語や中国語、ハングルの翻訳パンフレットの配布を開始。最近はツアーのコースに組み込まれることも増え、翻訳パンフレットは年間1万枚以上配布されるようになった。
日本の漫画・アニメファンを取り込む企画も次々と打ち出した。宝塚市と隣接する兵庫県西宮市を舞台にした作品「涼宮ハルヒシリーズ」のイラストを手がけた、同県出身のいとうのいぢさんの企画展を23年に開催。いとうさんの手による手塚作品のイラストも展示した。
続いて24年には人気アニメ「エヴァンゲリオン」の企画展を開催。日本初のアニメ作品である「鉄腕アトム」との共通点を探り、人気アニメの源流に手塚作品があることを紹介する試みで、狙いは見事に当たり、エヴァファンが続々と訪れた。
このほか、人気アニメ「マクロスシリーズ」や、女性向けゲームブランド「オトメイト」とコラボした企画展なども開いた。
こうした努力が実り、24年度は約11万2千人と4年ぶりに来館者が10万人を超え、25年度も約10万5千人が訪れた。
今年度は10月31日から、手塚氏のファンで子供の頃に漫画を描いていたというロック歌手の故・忌野清志郎さんの企画展「忌野清志郎展~手塚治虫ユーモアの遺伝子~」を開催。忌野さんが描いたブラックジャックなどの手塚キャラクターのほか、忌野さんのステージ衣装なども展示。ユニークなコラボが話題を集めている。
前川館長は「手塚氏は幅広いジャンルの人に影響を与えている。さまざまな企画展を通して、手塚氏が日本文化の発展の一端を担った人だと知ってもらい、新たな手塚ファンを増やしたい」と話している。