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ノーベル賞作家のル・クレジオさん、東大で講演 読者自身を変える小説の力

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ノーベル賞作家のル・クレジオさん、東大で講演 読者自身を変える小説の力

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 自身の多様なルーツや旅を糧に多彩な作品を生み、「彷徨(ほうこう)の作家」とも呼ばれる仏出身のノーベル賞作家、J・M・G・ル・クレジオさん(73)。長編『隔離の島』の邦訳版(筑摩書房、中地義和訳)刊行を機に昨年12月に東京大学で行われた講演では、個別具体的な作品の話題を切り口に普遍性のある小説論を展開した。印象深い言葉の数々から、創作風景の一端が垣間見える。(海老沢類)

 記憶が現実修復

 「両親がいとこ同士で、私にとっては祖父が共通している。いろんな家族の要素が集積してきて耐えられない状態になるのです。そういう作家はほかにもいるが、私もモーリシャスという小さな村で生きた(祖先の)家族の秘密を書こうとした」

 1995年に発表された『隔離の島』の執筆過程をル・クレジオさんはそう振り返った。母方の祖父が故郷のモーリシャスに帰省する船上で天然痘騒ぎに遭遇し、検疫隔離された実話に想を得て書かれたもので、『黄金探索者』(85年)に始まり『はじまりの時』(2003年)で完結する、祖先のルーツを探った半自伝的3部作の第2作にあたる。

 祖先のモーリシャスへの移住体験を見つめ「楽園の喪失と回復」を一つのテーマに据えた3部作について、講演の聞き役を務めた中地義和・東京大教授が指摘したのは「修復」というキーワードだった。現実の生活で失われたものを、修正し、補う…文学的な試みである、と。ル・クレジオさんもその考えに同意し、「記憶が現実の欠如を埋め合わせてくれる。そういう姿勢で私は書く」と応じた。

 歴史の痕跡上に

 デビュー作の出版から半世紀がたつが、20代で書いたエッセー『物質的恍惚(こうこつ)』(岩波文庫、豊崎光一訳)には、すでに〈ぼくは他人たちの考えでもって書く〉〈あらゆる文学は何かべつの文学の模作(パスティーシュ)にすぎない〉という興味深い記述が出てくる。特権的な「私」を解体し、神話の次元にまでさかのぼり、言語が持つ共有性に目を向ける-。語りが熱を帯びたのは、そんな深遠な小説論に差しかかったときだ。

 「空想の世界であっても、細かく描かれ、論理があって読者がその世界を信じることができるような世界をつくりたい」と話すル・クレジオさん。哲学や詩に比べて歴史が浅い小説を「定義しがたいもの」と位置づけ、「自伝でも詩でもなく社会的探究とも歴史書とも違う。いわば雑種のジャンルであって、あらがいがたい力で読者をとりこにする。読んだ後で『自分が変わった』と思うなら、その小説には力がある」。複数の時間が交錯する入れ子構造が作中で巧みに用いられることを指摘されると、「現在というのは過去と来るべき時代の絶えざる混じり合いです。先人の骨、誇り、といった歴史の痕跡の上に私たちは生きている。小説は時代のぶつかり合いを語るのに適切な形でしょう」とも話した。

 インクを使い書く

 初来日は1967年。ノーベル賞受賞後の2009年にも日仏文化会館などで講演しており、日本にも熱心な読者がいる。今回もユーモアを交えた話術で終始聴衆を魅了した。

 「作家は利己主義的で、自分が書いているものが『生きうるのだ』という感情を得るために書く。だから現実の接触があるように、私はインクを使って紙の上に書くのが好きです。書家ではないけれど、はっきり読める字を書くようには気を使っています」

 【プロフィル】Jean-Marie Gustave Le Cl●zio

 1940年、南仏ニースに生まれる。63年に発表したデビュー作『調書』で、仏の主要な文学賞の一つ、ルノード賞を受けて一躍時代の寵児(ちょうじ)になる。話題作を相次いで発表する一方、インディオの文化や神話研究も手がけるなど文明の周縁への関心も深い。『大洪水』『黄金探索者』など著書多数。2008年にノーベル文学賞を受賞した。

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