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女性にモテた、自由な父の教え「人生が楽しくなる努力を」 名取美和さん
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「父は人生を楽しく生きる努力をしている人でした」と語る名取美和さん(伴龍二撮影)
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タイで、HIV(エイズウイルス)に母子感染した孤児たちの生活施設「バーンロムサイ」の代表を務める名取美和さん(68)。「海外を海外と思わない」グローバルな感覚で、日本やヨーロッパで生活してきた。その自由な生き方は、父で写真家の洋之助さん譲りだ。
洋之助さんは自由奔放に生き、多くの人に愛された人物だった。
地方に撮影に行くときは、よく名取さんを連れていった。「家にはいないけれど、よく旅行に連れていってくれました」。留学経験があり、優しかった洋之助さんは女性にモテた。めったに家にいなかったが、「後で知ったんですが、当時、父には愛人がいたんです」
驚きの事実も発覚する。「中学3年くらいの頃、家で両親の離婚届を見つけたんです」。疑問に思った名取さんが戸籍を調べると、両親は1度、離婚。洋之助さんに前妻がいたことも明らかになった。洋之助さんに尋ねると、「前の奥さん、日本にいるから会ってみるか」。
都内の洋書店を訪れると、ドイツ人の女性の姿。名取さんはハグで歓迎され、洋之助さんは少し恥ずかしそうにしていたという。「父は人生が楽しくなる努力をしていた。周りが迷惑したこともあったと思うけれど、マイナスのエネルギーじゃないんです」
子供には多くの愛情を注いだ。小学生のとき、女子部員のいなかった山岳部に入部を希望した名取さん。洋之助さんは学校に行き、入部を頼んでくれた。「怒ることも、何かをやらせることもなかった。いつも自由にさせてくれました」
優しい父との別れは突然、訪れた。洋之助さんは昭和37年11月、胃がんのため、52歳で亡くなった。
名取さんはドイツに留学中。洋之助さんに最後に会ったのは亡くなる2カ月前、9月にミュンヘンの飛行場で見送ったときだ。「ホームシックになった私を心配してドイツまで来てくれていた。父の仕事がてら、2人で2カ月ほどヨーロッパを旅しました。胃がんとは知らなくて」
旅の間、洋之助さんはいろいろな話をしてくれた。だが、「当時、私は16歳で、ちゃんと話を聞いていなかった。右から左に抜けていました」。だが、一つだけ心に残ったメッセージがある。「手に職をつける」ということだ。「女でも仕事がなくちゃ」と年中言われていた。仕事でお金を稼げば、やりたいこともできるし、選択肢が増える。
名取さんはドイツでデザインを学んだ後、日本とヨーロッパを往復しつつ、通訳やコーディネーターの仕事に携わった。私生活では2度の離婚を経験し、一人娘の美穂さんを育てた。洋之助さんが亡くなったのとほぼ同じ53歳でバーンロムサイの代表に。1カ所に長くいるタイプではないのに、15年以上がたった。
父の教えは、バーンロムサイに受け継がれている。「仕事でお金を稼ぐのは生きるうえでベーシックなこと。どうせ働くならやりたくないことより、好きなことの方が楽しい」。寄付に頼らない運営を目指し、ものづくりに力を入れる。
名取さんは「父は、もうちょっと厳しくしてくれたら良かったのにって思います。私の人生、揺らぎ過ぎましたもの」と笑う。だが、人生を楽しみながら生きている実感はある。それは、洋之助さんがくれた自由から生まれたものだ。(油原聡子)
父に言われた通り、楽しく、わくわくする努力をしながら生きています。
なとり・ようのすけ 明治43年、東京生まれ。実業家の息子として育ち、18歳でドイツに渡り、写真を学ぶ。日本人カメラマンとしては初めてアメリカのグラフ誌『ライフ』と契約。日本に報道写真を根付かせた人物として知られる。写真家の土門拳さんや、グラフィックデザイナーの亀倉雄策さんを育てた。昭和37年、胃がんのため、52歳で死去。
なとり・みわ 昭和21年、中国・南京生まれ。慶応義塾女子高を中退し、16歳でドイツに留学。以後、日本とヨーロッパを行き来する生活が続く。通訳やコーディネーターとして活躍。平成11年にバーンロムサイの代表に就任。