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CGとも伝統技法とも違う「第三の道」で描く 梅沢和木「エクストリームAR画像コア」 椹木野衣
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梅沢和木は、日本でもっとも若い世代に属する画家だ。いま「画家」と書いて気付くのは、わたしたちの生きるこの世界では、もう手を使って文字を書いたり絵を描いたりすることよりも、パソコンのキーを叩(たた)いたり、アイコンをクリックしたりするほうが、ずっと身近になっているということだ。
かつて画家とは、あらゆる人がなしていた「書く(線を引く=ドローイング)」「描く(色を塗る=ペインティング)」といった日常茶飯事を、芸術の域にまで高める能力を持つ者のことを指した。けれども今、画家の持つ技能が社会で果たす役割は根底から変わってしまった。
「叩いたり」「クリックする」だけで生活の大半が片付いてしまう世の中で、なぜ、わざわざ筆を執って描くのか? 今日、画家はそんな問題に直面している。
いちばん安易な解決の仕方は、絵を描くのに筆など使わないことだ。コンピューターが発達した現在では、モニターを睨(にら)みながらマウスを操作するだけでも、たいていの絵は描けてしまう。手を使って「書く/描く」のが絵画の条件なのであれば、それでも十分、絵画たりうる。旧来の水準での鑑賞が可能な芸術性を持った作品もめずらしくはない。
けれども、それではやはり「絵画」たりえないとするなら、画家はそのことを自らの手で別様(べつよう)に証明してみせなければならない。だからといって、あくまでキャンバスと絵の具に依存するだけで絵画の正当性を主張するなら、そんなのは惰性でしかない。コンピューターグラフィックスとも伝統技法とも違う、第三の道を探らなければならないのだ。
困難だが画家に求められる稀なこの道を、現在の美術の世界で探求しているのが梅沢であると、まずは言うことができるだろう。時代の例に漏れず、梅沢もまた、ネットの世界にどっぷりと浸(つ)かることから始まっている。コンピューターの作り出す仮想世界に叛乱(はんらん)するキャラクターという実体のないアイコンに惹(ひ)かれた彼は、それらの図像を拾い集め、再編集し、現実の画面にびっしり貼り付けることで「画家」としての歩みを始めた。つまり、梅沢にとって、描くことは「書く/描く」とも「叩く/クリックする」とも異なる、両者の矛盾を統合するかたちで進められたのだ。
もっとも、解決すべき問題は多かった。ネットの内部は現実の世界と異なり、現行の法律でも著作権の所在が明確とはいえない。いわば未開の領域だ。そこから引っ張ってこられたキャラクターたちは、画家が自由に編集してよい絵の材料とは言いきれない。アーティスト集団「カオス*ラウンジ」に属して行われた集団作業を通じて、梅沢は初めてこの問題に突き当たる。やがて、ネットから拾い集めたキャラクターの、いわば疑似的な「肖像権」を、実際の画面上で絵の具を使い、手と筆で解体することで乗り越えようと試みる。その結果、仮想の空間と具体的な絵の筆触を併せ持つ、彼ならではの画面を獲得したのである。ネット内での権利の問題は、彼の試みが真の意味で「絵画」となるために、一度は通らなければならない道であったといえるだろう。
「エクストリームAR画像コア」と題された本展では、梅沢はここからさらに先へと進むことを試している。コンピュータープログラマーのユニット「AR三兄弟」の協力を得て今回、梅沢は「拡張現実=AR」と、現実の画面とが独立しつつ共存する一種の「亜空間」を作り出そうとしている。それは、肉眼で絵を眺めるのと、コンピューターを通して観るときとで、同一の絵が異なる現れ方をするような多様な「画像」からなる。
「画像」とは、単なる「画面」でもなければ「虚像」でもない。その中間の領域で、梅沢は「書く/描く」「叩く/クリックする」の両者を単純にひとつの画面のなかで統合するのとも違う、また新たな制作=実験へと乗り出している。
今回の試みはまだ端緒についたばかりに見えるが、行く末を注意深く見守りたい。(多摩美術大学教授 椹木野衣(さわらぎ・のい)/SANKEI EXPRESS)
「エクストリームAR画像コア」は11月15日まで、「DIESEL ART GALLERY」(東京都渋谷区渋谷1の23の16「cocoti」地下1階)で。期間中は無休。問い合わせは(電)03・6427・5955。