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【花緑の「世界はまるで落語」】(19) 目指せ「甲乙つけがたい味わい」
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この写真は先日、岩手県一関市で落語会の打ち上げでお邪魔した「せきのいち」という、蔵造りのすてきなお店で飲んだ「地ビールの飲み比べ」です。
4種類とも、とってもおいしかった。見事に異なる4つの味を楽しみました。あんまりお酒が強くない私にとって、4つの味をチビチビと飲めたのはちょっとぜいたくな感じがしてうれしかったですね! 比べる楽しさ!とでもいいましょうか、お得感もあって、ちょっとワクワクしたんです。
でも私は、日頃、人前で芸を披露する立場。“比べられる”ことほどつらいことはありません。そりゃ比べられて自分を選んでくれれば心持ちもいいんですけれど、そうではない時もある。ありすぎる! 日々、比べられる中にいることは結構ハードな体験です。でも考えたらわれわれは競争社会の中でいっつも比べられて生きているんですよね。学校の成績から始まり、あらゆる商売は比べられて成長したり、落ち込んだりして、不安定なこと極まりない! それが当たり前といゃ~、当たり前。
私の商売「落語家」も例外ではございません。まぁ-!比べられます。「比べてください!」と言ってるようなもんです。だいたい古典落語を演(や)っているということは、600人からいる落語家がみんな、同じ演目を演っているんです。古典落語の数は500~600席あるのです。でも現在みんながよく演っている噺(はなし)は200席ぐらいかなと思います。その200の落語を600人が演りまくってる状況です。寄席である人が演った演目と同じ噺を、別のホールの落語会では違う落語家がしゃべってた。なんてことはよくあります。特に季節ネタはそういうことが多い。冬場に3日間続けてどっかで落語を聞けば「時そば」なんて噺を避けて通ることは難しい!
しかも、われわれは死んだ落語家とも比べられています。CD、DVDが多く残るこの時代。YouTubeも含めて、もうジャンジャン落語を聞くことができます。「亡くなった師匠のとは違うやり方だね?」なんて言われて。そうなると、比べられることが嫌だ!なんて言ってる場合じゃない。嫌なら辞めるしかないのです。
そして比べる側は“善し悪し”をよく言ったりしますね。「ああいう芸は良くない」「あの師匠の芸はとても良い!」。普通のお客さんも評論家になった気持ちでそういうことを仰しゃる。
でも、どうでしょうか? 芸事にあるのは“善し悪し”ではなく“好き嫌い”ではないかと思うんです。いや、そりゃ両方ある!と仰しゃるかもしれませんが、好きだと、その芸人がたまたま期待外れなことがあっても、「今日は調子が悪かったな? 珍しい…」なんて言って理解してくれて、次も聞こうというモチベーションが下がらない。反対に嫌いな芸人をたまたま聞いたときに自分の求めているものと違うと、必要以上に落胆したり悪口を言ったりする。好意の有り無しがすべてを支配しているような気がしてなりません。
でも、僕が地ビールを飲んだときに感じた、あのワクワクには、比べる楽しさが不可欠でした。ビールたちはみんなおいしかった! ここが、とても大事な部分。一つでも圧倒的な不味(まず)さを誇っていたら飲み比べは失敗に終わる。
甲乙つけがたい!というレベルが並んだときに初めてぜいたくで、ワクワクを感じるのでしょう。ナンバーワンでなくオンリーワンでいいと思いますが、単品でも詰め合わせでもいい感じ! そういう芸人を目指そう! そんなことを思う今日このごろでした…。(落語家 柳家花緑(やなぎや・かろく)、写真も/SANKEI EXPRESS)
■第4回「柳家花緑・古今亭菊志ん 二人会」 11月26日(火)午後7時開演。東京都江東区深川江戸資料館 小劇場。問い合わせ(電)080・1327・5615(オフィスぼんが)