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干魃と農地拡大 崩れる生態系 ケニア マラ川

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干魃と農地拡大 崩れる生態系 ケニア マラ川

更新

 【世界川物語】

 急斜面の岸から次々とヌーが川に飛び込んだ。数十メートル先の対岸を目指して、何百頭、何千頭ものヌーが跳ねるように必死で泳いでいく。1時間は続いただろうか。一直線に進むその姿はまるで求道者の行列のようだ。

 多様な野生動物で知られるケニア南西部マサイマラ国立保護区を南北に流れるマラ川。毎年7~8月ごろ、この川を舞台に繰り広げられる壮大なヌーの川渡りは「サバンナの神秘」の一つといわれている。

 途中で溺れたり、ワニに食べられたりしてしまうヌーも少なくない。川下では流されたヌーの死骸が積み重なって悪臭を放ち、ハゲワシが群がっていた。

 なぜ毎年、何を追い求めて、ヌーは命懸けで川を渡るのか-。

 牧草求め大移動

 アフリカ東南部の平原に生息するヌーはウシ科の大型草食獣で、真っ黒な顔とたてがみ、白っぽいひげ、立派な角が特徴だ。大きな群れで行動し「ウシカモシカ」とも呼ばれる。

 「川渡りはヌーの『大移動』の一環。食料となる牧草や飲み水を求める生態的、社会的な行動だ」。マサイマラで動物保護に当たる民間団体のケニア人生物学者、スティーブン・キソツ(42)が説明した。

 キソツらによると、ケニアとタンザニアの国境をまたぐ広大な平原を、推定約150万頭のヌーが一年を通して牧草を求めて周回している。一緒に行動するシマウマなどを合わせると、サバンナを移動する動物の総数は200万頭にも上る。

 毎年前半、タンザニア側で子供をもうけたヌーの群れは、乾期となる6月ごろケニア側へ移動を開始。マラ川を渡ってマサイマラの黄金色の牧草を食べ尽くし、10~11月の小雨期にタンザニア側に戻っていく。

 平原は2万5000平方キロに及び、日本の四国の1.5倍近い広さだ。ヌーは何を頼りに移動しているのか。キソツは「気候の変化を察知し、牧草が育つ雨の方向へ進む『遺伝子』が組み込まれている」と解説する。

 ヌーは臆病な動物だが、大群で移動することで危険な川渡りに挑むことができ、ライオンなどに襲われる恐れも少なくなる。毎年、移動中に数十万頭がワニや肉食獣の餌食になるが、これが逆に「生息数の急増防止につながっている」と言う。

 ヌーなどがマサイマラに残す何万トンもの排泄物は、翌年に牧草が育つ肥料になる。「(大移動により)自然の生態系が保たれている」。キソツが強調した。

 気候変動の影響

 ただ近年、この生態系のバランスがさまざまな脅威にさらされている。その一つが気候変動だ。

 ケニアの野生動物に詳しいナイロビ大講師のジェラルド・ムチェミ(61)は「雨期の時期が一定しない上、降雨量も減っており、ヌーの食料になる牧草が減少している」と指摘する。

 2009年には深刻な干魃(かんばつ)がケニアを襲った。マラ川の流れも枯れ、ヌーを含め多くの動物が死んだ。干魃の周期は短くなっているとされ、11年にも再び起きた。

 雨期が安定しないために、ヌーが川を渡る時期は年々、予測が困難になっている。牧草の減少は、周辺で家畜を遊牧させるマサイ民族などの地元住民と、ヌーなど野生動物との対立にもつながっているという。

 「気候変動の影響は大きい。温暖化が関係しているのではないか」。ムチェミが憂い顔で語る。

 人間がストレス

 ヌーたちの生態系を脅かすもう一つの大きな要因は人間の活動だ。

 マサイマラ周辺は土地が肥沃で、1970年代から農地化や遊牧民らの定住が進む。繁殖地域も狭まって約20年間で草食獣の生息数が相当な割合で減少、それに伴って肉食獣も減った。

 キソツは「ヌーが移動できる区域も、昔と比べれば大幅に減った」と語り、ため息をついた。

 観光客やマラ川沿いなどに設置される宿泊キャンプの増加も、ヌーの移動には大きな障害だ。

 川渡りの時期には、何台ものサファリカーがマラ川付近に集まる。「観光客や車の音を怖がって、ヌーが川渡りをやめてしまうのはしょっちゅうさ」と、長年サファリ運転手を務めるジョージ・オチエング(35)。立ち入り禁止区域に車を乗り入れて、動物にストレスを与える客も多い。

 また年間数万頭のヌーが食肉目的の密猟被害に遭っていると推定されており、生息数減少の恐れが懸念されている。

 「いつか、ヌーの川渡りが見られなくなるかもしれない」。ムチェミら専門家は、大自然の驚異がまた一つ、地上から消えてしまうことを真剣に心配している。(敬称略、共同/SANKEI EXPRESS

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