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凛として 上を向く秋の花 

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凛として 上を向く秋の花 

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秋の日を浴びて境内にはリンドウが咲き競っていた=11月9日、神奈川県鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺(渡辺照明撮影)  【湘南の風 古都の波】

 雲の切れ目から、薄い日が差してきた。深い緑のコケをバックにした青紫の花びらは日を浴びると、ひときわ鮮やかに映える。鎌倉市扇ケ谷の谷戸の奥にたたずむ禅宗寺院、扇谷山海蔵寺の境内にはリンドウの花が咲き競っていた。

 垂直に伸びる茎と地をはうツルのような茎。同じリンドウでも2つの種類があるようだ。地をはうツルの上に一列縦隊で咲く花も、太陽に向かって真っすぐに花びらを開いている。

 「リンドウは下を向かない」

 そう言いたくなるようなひたむきさが、古くから鎌倉の人たちに愛されていたのだろうか。現在は「ササリンドウ」が鎌倉市の市章になっている。

 市役所の公式サイトにはその市章の由来が中学生向けに書かれていた。

 『ササリンドウ(笹竜胆)はリンドウの葉が笹に似ていることからの名前ですが、植物名としてより、家紋として有名です』

 もともとは源頼朝の家紋と言われていたそうで、鎌倉市は1952(昭和27)年11月3日、市章に制定したという。さすが頼朝さんあっての鎌倉…と言いたいところだが、サイトにはこんな説明もついていた。

 『実際のところは、頼朝の指物(読み方:さしもの/意味:武士が戦場で目印のため、よろいの背などにさしたり、お供の者に持たせたりした小旗や飾り物)は白旗のみで、竜胆紋を使っていたという証拠は一切残っていないため、頼朝の使っていた紋どころだったかどうかは不明です』

 ごまかすよりも、正直に情報を公開する。お役所には何よりもこの姿勢が大切だろう。分かっていても、なかなかできないことだ。下を向かずに、他の分野でもお願いしますよ、市役所の皆さん。

 ≪山に入れば修験者気分≫

 つい1カ月前には最高気温が30度を超えるほど暑かったのに、最近は吐く息が白くなるほど朝晩の冷え込みがきつい。ぜいたくは言いません。でも、せっかくの散策の季節である。もう少し、鎌倉の秋を楽しませてほしいとは思う。

 鎌倉の旧市街には鎌倉幕府跡の石碑が3つある。最初に頼朝が幕府を置いたのが鶴岡八幡宮の東方に位置する大倉幕府跡、そして、北条氏が実権を掌握するようになってから若宮大路の近くに移った宇津宮辻子幕府跡と若宮大路幕府跡。

 ご関心がおありの方は、鶴岡八幡宮や頼朝の墓に詣でたら、路地めぐりも兼ねてぜひ探索にチャレンジしてほしい。30分もあれば一巡できる。町がコンパクトなところも鎌倉の魅力の一つだろう。

 武家の古都といっても、その政権の中枢となる幕府の跡は残っていない。石碑だけだ。これは鎌倉にとって痛いところである。理不尽にも今年、世界遺産登録を果たせなかったのも、その弱点を突かれてしまったからだろう。だいたいの場所は分かっているんですけどねえ…。

 いつまで愚痴っていてもしようがないので、世界遺産登録については再チャレンジに向けて戦略を練り直していくとして、たまの休日には散策に繰り出そう。天候不順にもめげず、町にはたくさんの人、人、人。世界遺産などに登録されなくても、鎌倉の良さは皆さん、先刻ご存じです。

 大倉幕府はいまの清泉小学校の敷地あたりにあったという。そこから見上げる衣張山は標高が120メートル余り。な~んだ、と言うなかれ。町の三方に低山がひしめく鎌倉の山並みではかなり高い方である。

 その昔、源頼朝があまりの夏の暑さにたまりかね、この山に白い衣を張らせて雪山に見立てて、涼をとった。それが山の名前の由来となったという言い伝えがある。権力者はむちゃくちゃするなあと一瞬、納得しかけたが、鎌倉市教育委員会発行の「かまくら子ども風土記」には「頼朝の権力が強かったことを後の人が想像し、こんな話が残ったのでしょう」と書かれている。つまり後世の作り話。

 まあ、そうでしょうね。衣張山の頂上には、かつて大倉幕府があったあたりからだと、歩いて30分か40分で上がることができる。意外に近い。それなのに、途中からは平成巡礼道と呼ばれるかなり険しい山道になる。

 さすがに巡礼道、少し寒いぐらいのお天気でも汗が噴き出し、どこか修験者になった気分である。(文:編集委員 宮田一雄/撮影:写真報道局 渡辺照明/SANKEI EXPRESS

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