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【奥多摩だより】落ちアユのころ(川崎市多摩区)

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【奥多摩だより】落ちアユのころ(川崎市多摩区)

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 多摩川の流れに、サギやカワウが急に集まりだした。目の色を変えて、水に飛び込んだり水面を突いている。昨年秋の、川崎市多摩区の多摩川二ケ領宿河原堰。落ちアユの季節だった。アユの群れを鳥たちが見つけたのだろう。「メシが来た!」と猛烈な食欲でパクパク食べている。アユにとっては、せっかく秋まで無事に過ごしたのに、悪魔の群れに遭遇してしまった。小生は川岸からそれを見て、アユの無念さを思い涙ぐんでいたのだ。

 それにしても新鮮でうまそうな多摩川の純国産のアユだ。解凍魚を鮮魚だなんて偽ったりしない。最近はどこもかしこも食材偽装。ホテルのレストランもデパートも、エビに代表されるように、安く仕入れたものを高い名前をつけて偽装している。大きければ車エビ、小さいものは芝エビと称する慣習が飲食業界にあるんだって。エビこそいい迷惑だ。サギが食ったら、「この詐欺師め!」と怒るだろう。ごまかしのプロであって飲食業のプロではない。そんなところでは絶対に食事してやらないし、デパートのおせち料理なんてものは、これまで買った記憶もない。いつものガード下の焼き鳥屋では、そんな偽装はないと信じているが、はて、あの店に産地などの表示があったかな。

 ここは多摩川中流域。自然豊かな光景だが、1974(昭和49)年8月末の深夜から大雨が降った。そのころ小生は田舎の学生だったが所用で上京、隣の調布市に泊まっていて、未明にパトカーがサイレンを鳴らして走っていったのを覚えている。多摩川水害の始まりだ。その後3日間で堤防260メートルが決壊、対岸の東京都狛江市の住宅19棟が流される被害がでた。まさにその現場なのだ。

 その水害は、77年放送の被害家族をモデルとし名作といわれたテレビドラマ「岸辺のアルバム」の題名とともに、40年近くが過ぎた今も人々の記憶に残っている。(野村成次、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■のむら・せいじ 1951(昭和26)年生まれ。産経新聞東京、大阪の写真部長、臨海支局長を経て写真報道局。休日はカメラを持って、奥多摩などの多摩川水系を散策している。

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