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【円游庵の「道具」たち】しめ縄に込められた思いと警戒心 丸若裕俊

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【円游庵の「道具」たち】しめ縄に込められた思いと警戒心 丸若裕俊

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三重県・伊勢地方に伝わるしめ縄(大山実撮影)  最近は見かけることが少なくなってしまった、新年の家の玄関先に飾られるしめ縄。とあるきっかけがあるまで、僕のしめ縄に対するイメージは単に形式的に飾るもので、形がどうこうというのも特に気にしたことはなかった。しかし、しめ縄が特集された『民藝』という機関誌の中で出会ったものは、どれもユーモアに溢(あふ)れ、それでいて綺麗なデザインの数々…。洗練された美しい品々に出会い、とても衝撃を受けた。

 すぐさま買いたいと思い、いろいろ探したのだがなかなか見つからず、ようやく探し当てた“海老飾り”と呼ばれる近畿地方に伝わるしめ縄。一般的なしめ縄のイメージとは違うかも知れないが、不思議なその造形に引き込まれる魅力を感じ、一目惚れして買ってしまった。

 もう一度大切に

 そして今回もう一つ紹介するのが、三重県・伊勢地方に伝わるしめ縄。伊勢では、実は今でも多くの家の玄関先にこれが一年中飾ってある。それは確かに神事に関係するものかもしれないが、だからこそ圧倒的に美しく、限られた素材の中でどうやって作り出すかという知恵に、道具やものづくりの普遍性を感じざるを得ない。なので、一年の最初の連載にもっともふさわしいのではないかと思い、取り上げた。

 しめ縄を家の軒先に飾り、福を招き入れ、悪いものをよせつけない。目に見えないものに対してのおもてなしの気持ちと警戒心は、現代で軽んじられがちになっている。だけれど今こそ、どちらももう一度みんなが大切にするべき時期なのではないだろうか。どの家もしめ縄をもう一回つけろ、というのは不可能であるし、押しつけもしたくない。そうではなくて、しめ縄に込められてきた気持ちを、心の中にいつももっていられるような日本であってほしい。

 モノではなく精神

 自己中心的でなく、清濁併せ呑(の)むかのような願いをしめ縄に込めていた時代があったわけで、そういった時代はどれだけ幸福だったのだろうか。しめ縄が家の軒先からだんだん姿を消していくとともに、物質的にはとても豊かになった。だけれどそれと同時に、精神が疲弊していったといわれる。しめ縄に込められた願いである招きたい“福”とは、物質ではなかったのかもしれない。

 社会の映し鏡としても、人間の心の映し鏡としても、しめ縄はとてもシンボリックだと感じる。そしてスーパーで売っているような、形式だけで素材も形状も考えられていないしめ縄を飾るというのも本末転倒だ。大切なのはソフトウェアの部分。そこを見つめ直し、僕らはこの現代にどういかしていけるのか。まがいものによって誤ったイメージが定着してしまったモノが多すぎる。これはモノにとっても人にとっても、とても不幸で残念なことだ。懐古主義をおしつけたいわけでなく、シンプルに一度本物をみてもらいたい。そこにはしっかりと向き合いたい物語があり、願いが詰まっているのだ。

 本当の魅力を考える

 現代の人の価値観でも明確に、美しいと思わされるしめ縄が、昔から今に受け継がれ、アップデートされ続けている。それこそがしめ縄であり、日本人が持っている文化であると知ってほしい。そんなしめ縄を知って、見て、感じて、みなさんが本当に大切にしたい想いや物語を自分の中でみつけるきっかけとなれればこの上なく幸せだ。

 昨年より始めさせていただいたこの連載。いろいろな道具たちを紹介してきたが、僕は単純に「昔のもの=良い」と思っているわけではない。道具につまった本当の魅力はどこにあり、それを現代のどこに最適な形で落とし込んでいくのか。

 2014年『円游庵の「道具」たち』は今まで以上に、“モノ”を通して現代で本当に必要とされているもの、大切なものを考えていける場にしていきたい。

 松尾芭蕉「古人の跡を求めず 古人の求めたるところを求めよ」。僕の好きな言葉です。本年もよろしくお願いいたします。(「丸若屋」代表 丸若裕俊/SANKEI EXPRESS

 ■まるわか・ひろとし 1979年東京都生まれ。企画プロデュース会社「丸若屋」(maru-waka.com)代表。九谷焼・上出長右衛門とスペインの著名デザイナー、ハイメ・アジョン氏がコラボレーションした磁器など、日本の高品質な技術をいかした現代的な製品をプロデュースする。東京都台東区に、自身が手がけたり、これまでに出合った“道具”が並ぶ数寄屋造りをベースとしたショールーム「円游庵」を設置している。

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