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寸分違わぬ有名人のサイン模写 宇川直宏個展「2 NECROMANCYS」 椹木野衣

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寸分違わぬ有名人のサイン模写 宇川直宏個展「2 NECROMANCYS」 椹木野衣

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宇川直宏「UKAWA’S_TAGS_FACTORY!!!!!!!!!!(完結編)/1000_Counterfeit_Autograph!!!!!!!!!!」の展示風景。時代やジャンル、著名度もさまざまな模写サインが並ぶ(三嶋一路さん撮影)。Courtesy_of_YAMAMOTO_GENDAI  どんな偉人・有名人のサインでも、それが色紙に書かれていると気付いたとたん、にわかに視界ごと黄昏色に染まるような気がする。それはきっと、日本人の記憶のなかで色紙が、お好み焼き屋や居酒屋の壁と切っても切れない縁を持っているからだろう。言ってみれば、アートや現代美術からもっとも遠い世界だ。

 きっと、少なからずの人が幼いころ、そんな風景を眺めながら、いつかは色紙にサインする側にまわりたいと、自分のサインを練習したことがあるのではないか。氏名をつなげたりアルファベットに置き換えたり。もっと素早く描くにはどうするか。何枚もの紙に練習で描き殴った人だっているだろう。たまに今でも、そのころの手癖で自分のサインを書ける人に出会うことがある。クレジットカードの裏面の署名とは全然ちがう、芸能人のサインのような代物だ。そんなとき、照れくさそうにサインを披露してみせてくれる様は、悪いが見ていて実に興味深い。なんとなればサインには、そのひとの生い立ちや素のままの顔が、引きはがし難く塗り込められているからだ。

 「その人となり」を表す

 ところ変わって、ここは最先端のアートを展示する都心のギャラリー「山本現代」(東京都港区)。至るところ壁を埋め尽くすのは、誰も知らぬ者はおらぬような有名人のサインばかり。聞けば洋の東西、世代や性別を問わず、数は実に1000人分に及ぶという。デカルト、マルクス、ヘレン・ケラー。手塚治虫、赤塚不二夫、やなせたかし。AKB48、Perfume、ももいろクローバーZまで。しかし本物ではない。実はこれ、アーティストの宇川直宏がすべて、一人で現物からそっくりに模写した「作品」なのである。

 しかし、ことさらに驚くことはない。風景を描くのが風景画、人物を描くのが人物画、静物を描くのが静物画なら、サインを描くのが「サイン画」であっても別に不思議ではない。真に驚くべきは、これだけの数の個性も持ち味も著しく違うサインを、筆致や崩し字に至るまで寸分違わず模写してみせ、市販の色紙と組み合わせて「借景」してみせる、その編集の妙技だろう。

 しかし、こうやって宇川の手を通じ、ギャラリーの白い壁で眺め直してみると、サインとは本当に不思議なものだと感じる。もしかしたらサインというのは、本人の顔よりもずっと「その人となり」を示しているんじゃないか。どんな人でも顔に目・鼻・口はあるけれども、サインにはそうした共通項が一切ない。

 一応は文字で書かれてはいるけれども、読めるとはかぎらない。いや、読めないサインのほうが貴重そうな気さえする。中には読めないどころか、文字なのかどうかあやしいものまである。

 実は自分と対面?

 以前から宇川は、サインをねだられると嫌な顔ひとつせず応じ、差し出された著作などに進んで署名してきた。ただし自分の氏名ではない。よく知られた他人のサインをしてみせるのだ。もらったほうは目を白黒させるだろう。けれども、これが宇川ならではのサインの流儀だったのだ。

 例外に漏れず、宇川も幼いころから有名人のサインに憧れる少年だった。ただしその憧れは自分のサインを持つことではなく、彼らのサインをできるだけうまく模写することへと向かった。いつしかそれは名人芸の域に達し、ついには本展での1000人に及ぶサイン画の展示にまで至ったのである。

 だから、他人のサインをうまく模写できることが宇川ならではの署名であることは、実は辻褄(つじつま)が合っている。

 宇川は、サインを求められた人の様子に応じ、誰のサインをするかを描き分ける。誰のサインが施されるかは、実はサインを求める人自身の反映でもあるのだ。実際、展示を見ているうち、自分がどのサインを好むかも、次第にはっきりしてくるはずだ。有名人のサインを見ているようでいて、実は自分と対面しているにすぎないのかもしれない。宇川が「宇川直宏」と署名しないのは、煎じ詰めればそういうことかもしれない。

 本展では、これらサイン画の連作に加えて、旧作でもある夏目漱石に生き写しの人形と、東京大学医学部に収蔵されたホルマリンに漬けられた漱石の脳味噌もレプリカで展示されている。こちらはサインではなく本人の模造だ。が、肝心なのは脳が展示されていることだろう。多種多様なサインのつづりを見たあとに眺めると、漱石の脳の皺(しわ)が、いつのまにかニョロニョロした彼の筆跡やサインのように見えてくる。(多摩美術大学教授 椹木野衣(さわらぎ・のい)/SANKEI EXPRESS (動画))

 ■さわらぎ・のい 1962年、埼玉県秩父市生まれ。同志社大学を経て美術批評家。著書に「シミュレーショニズム」(ちくま学芸文庫)、「日本・現代・美術」(新潮社)、「反アート入門」(幻冬舎)ほか多数。現在、多摩美術大学教授。

 ■うかわ・なおひろ 1968年、香川県生まれ。京都造形芸術大学教授。マムンダッドプロダクションズ主宰。現在美術家。VJ、DJ、デザイナー、文筆家、アートディレクターなど、ジャンルを横断して活躍。2010年には日本初のインターネット生中継(ライブストリーミング)チャンネル「DOMMUNE」を個人で開局。記録的な視聴数で話題を呼び、11年文化庁メディア芸術祭推薦作品にも選出された。

 【ガイド】

 ■宇川直宏の個展「2 NECROMANCYS」 2月22日まで、山本現代(東京都港区白金3の1の15の3階)で。日月祝休。

問い合わせは(電)03・6383・0626。

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