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タウトが教えた日本。安吾に斬られた日本。 ブルーノ・タウトと坂口安吾の『日本文化私観』 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
建築家ブルーノ・タウトがドイツとソ連から逃れるようにして敦賀に着いたのは、1933年5月3日のことだ。翌日、京都大丸の下村社長らに案内されて桂離宮を見た。感嘆した。54歳の誕生日だった。タウトはたった一日で、桂が「世界で最も美しい不均衡の美」をつくりあげていることを見抜いた。
その後、タウトは雪舟・遠州・光琳・春信・大雅・蕪村・玉堂・鉄斎らに瞠目(どうもく)して、そのような日本の美を一番あらわしているのは「床の間」ではないかと結論付けた。すばらしいプロポーション、祭壇としての趣向、徹底して簡素であること、いずれも申し分ない。とくに際立つのは、その裏側にたとえ便所があっても女中部屋があってもゴミ捨て場があっても、「床の間」がその象徴性を失わないところだと感じた。
一方、タウトは日本中が京都を賛美しているぶん、地方都市がどんどん醜くなっていることにも気が付いた。とくに各地の駅前がひどい。「温泉宣言都市」「陶芸のまち」を謳った広告塔、そのまわりの粗末な花壇、その向こう側の観光バスの駐車場。どの駅前も同じようにくだらない。「床の間の壁一枚」の力を日本中が忘れかかっているようなのだ。
このようなタウトの日本を見る目は反転して、坂口安吾によってさらに起爆した。1937年の冬、知人に連れられて初めて祇園で遊んだ安吾は、舞妓たちを見て「こんな馬鹿らしいものはない」と感じた。愛嬌もなく芸もない。それだけではない。フォークの背にご飯をのっける珍奇な仕草、神社という神社が並べている安物の土産、新興宗教の建築の気持ち悪さなどを次々にあげ、こんな日本はもっと堕ちるしかないと文句を付けた。
安吾は、日本人はちょびっとだけ伝統などに付き合うから、目が腐ってしまったと言いたいのだ。それより自分が見た小菅刑務所の長い壁、聖路加病院とドライアイス工場の対比、春の海を動く軍艦などのほうがずっと美しいと断言してみせた。
タウトは日本人が洋物を「うわべ」でとりこんだことを告発した。安吾は日本人が伝統文化を「薄っぺらく」したことを断罪した。2人の言いようは反対に見えるようだが、根っこでつながっている。クールジャパンも東京オリンピックも、よっぽど心したほうがいい。
ぼくはタウトのドローイングが好きで、何度も見惚れてきた。「アルプス建築」も「星の建築」も「クリスタルハウス」も、みんないい。そこにはドイツ語でいうところの「クワリテート」と「ゲシュマック」がある。クワリテートは質感や風合のことを、ゲシュマックは「好み」のことをいう。日本語の感覚なら「数寄」に近い。
このことをタウトは『建築とは何か』では、「釣り合い」と「余地」とが世界と建築のすべてですと書いていた。
そのタウトが桂離宮や遠州の茶室や浦上玉堂の水墨画や文楽の人形を見て、心底驚いた。「釣り合い」と「余地」がここに結晶していた。そして最も大切にしてきた褒め言葉「ラインハイト」をそれらに向けた。「すがすがしく美しい」という意味だ。小堀遠州なら「綺麗きっぱ」と言うところだ。
諸君は本書を読んで、タウトがどのように日本の美の「際(きわ)」を発見したかを逐一知るべきである。しかしそのうえで、そこに痛烈な日本批判が綴られていることを、さらに知るべきだ。それは、日本人が欧米文化を移植するときになぜ「きわもの」化をおこすのかという批判なのである。「際」と「きわもの」のちがいが重要なのである。
この本には表題のエッセイとともに、超有名な『堕落論』、菱山修三を論じた『かげろう談義』、織田作之助の死を惜しんだ『大阪の反逆』なども入っている。小林秀雄がいかにインチキなのか、花田清輝がいかに批評力をもっているのかというエッセイも収録されている。
これらの多くは毒舌エッセイで、読む者の溜飲を下げさせるとともに、安吾が何にこだわろうとしたのかが、よくわかる。安吾は日本の「本当」と日本の「本場」に浸りたかったのだ。
その舌鋒が日本文化のメッキ剥がしに及んだのが『日本文化私観』である。そうとう乱暴な判定が連打されるのだが、昭和日本のやりきれない暗澹(あんたん)とアナーキーな快楽を想定しながら読むと、身に凍みるものがある。
しかしぼくは安吾なら小説を褒めたい。『夜長姫と耳男』『桜の森の満開の下』『白痴』『青鬼の褌を洗う女』など、いずれも端倪(たんげい)すべからざる戯作になっている。失敗作と言われた長編『吹雪物語』ですら、おもしろい。
晩年は酒とヒロポンとアドルムに溺れたが、その意外な実像は、夫人だった坂口三千代の『クラクラ日記』を見るといい。ついでながら、黒田官兵衛を最初にとりあげた作家は坂口安吾だった。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)