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みんな、スイミーの勇気に励まされてきた 「ぼくの伯父さん」だったレオ・レオーニのこと 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
谷川俊太郎さんは2人の本だけを翻訳してきた。そう、決めている。チャールズ・モンロー・シュルツとレオ・レオーニ(レオニ)だ。シュルツはご存知チャーリー・ブラウンやスヌーピーの生みの親のマンガ家で、レオーニは『あおくんときいろちゃん』『スイミー』『ニコラスどこにいってたの?』『せかいいちおおきなうち』『フレデリック』などで知られる絵本作家だ。この世界中の子供たちを熱中させた2人だけを翻訳するなんて、たいへんな先見の明だ。
ある日、何度目かのレオーニが来日をしたとき、イタリア大使の公邸でパーティをすることになった。ぼくは谷川さんとタモリを呼んだ。タモリはイタリア映画のでたらめな場面模写をしてくれて、その場を笑いの渦に巻き込んだ。レオーニもオランダ生まれのイタリアン・デザイナーなのである。オリベッティ社の基本デザインもつくった。
が、実際にはレオーニの前半生はアメリカが活躍の舞台だった。これはファシズムの嵐に耐え兼ねてアメリカに亡命したからだ。「フォーチュン」のアートディレクター、パーソンデザイン学校のデザイン部長、アメリカグラフィックアート協会の会長などとして活躍した。1953年にはアスペン国際会議の初代会長をつとめた。そして、後半生をイタリアに戻ってすばらしい絵本を描きまくったのだ。
ぼくは2冊の本を通してレオーニとかかわった。最初は『平行植物』だ。工作舎で翻訳し、刊行した。学術書っぽい体裁と中身を模したこの作品は、登場する植物がすべて架空のもので、マネモネ、キマグレダケ、フシギナなど、翻訳者たちを大いに悩ませた。
2冊目は『間(MA)の本』だ。これはレオーニとぼくの対談本で、ありとあらゆるMAをめぐろうという趣向で話しこんだ。「イメージの午後」というサブタイトルにし、木村久美子が装丁した。実は続いて3冊目を共著しようということにもなっていたのだが、これは流れた。2人がかわりばんこに小石を描き、それがだんだんふえていくのに物語を付けようというものだった。残念だ。
レオーニとは各地を旅したり、いろいろ話しこんだのでわかるのだが、どんなときも温厚で、お洒落で、ウイットに富んでいた。ぼくは、この人こそが「ぼくの伯父さん」だと確信していた。
お話も奔放な水彩の絵もレオーニらしさが横溢して愉しく、かつ深い。ごく初期の作品。赤い魚の一族でたった一匹だけ黒いスイミーは仲間はずれにされているのだが、仲間が大きな魚に呑まれたあとは、なんとか勇気を出してがんばったという話だ。全員が大きな赤い魚の形になって、黒いスイミーが目になったという最後は、子供たちもみんな感動する。「見えない絆」を目に見せるのがレオーニなのである。
ちぎり絵と貼り絵で構成された絵本。5匹の小さな野ねずみの話だ。 冬が近づいたので野ねずみたちがせっせといろんな準備をしているのに、フレデリックは何もしないで「光や色や言葉を集めているんだ」と言うだけである。けれども寒くて表にも出られない冬になると、フレデリックがためていた光や色や言葉で、みんなは心も体も温まってうっとりできた。これは「想像力こそはみんなの大事な資源(リソース)になる」というお話。
上にも書いたように、これはぼくの工作舎時代に翻訳刊行したもの。文庫にもなった。たくさんの幻想植物が登場するのだが、これらはすべて平行植物群と称され、人間の知覚では実態が解明できない。アカデミズムからは無視されてきたが、その驚くべき「平行化」の特質は、植物的ミラーリングの真骨頂ともいえるため、いまでは学会や国際会議も開かれている。それにしても翻訳が大変だった。
レオーニとぼくが東西の「間」MAをめぐって自由に語りあった本。対話は、想像力はなぜ実在よりも「不在」に向かえるのかということ、子供の頃から近づきたいのに近づけないものは何かということ、無償の行為はなぜ発見的なものになりうるかということ‥‥等々、たいへん重大な「心のMA」に向かって進んでいく。34年前の本だが、久々に通読してみて、ぼくのイメージの吐露として、まだこの本を超えられていないなと思ったほどだ。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)