【BOOKWARE】
谷川俊太郎さんは2人の本だけを翻訳してきた。そう、決めている。チャールズ・モンロー・シュルツとレオ・レオーニ(レオニ)だ。シュルツはご存知チャーリー・ブラウンやスヌーピーの生みの親のマンガ家で、レオーニは『あおくんときいろちゃん』『スイミー』『ニコラスどこにいってたの?』『せかいいちおおきなうち』『フレデリック』などで知られる絵本作家だ。この世界中の子供たちを熱中させた2人だけを翻訳するなんて、たいへんな先見の明だ。
ある日、何度目かのレオーニが来日をしたとき、イタリア大使の公邸でパーティをすることになった。ぼくは谷川さんとタモリを呼んだ。タモリはイタリア映画のでたらめな場面模写をしてくれて、その場を笑いの渦に巻き込んだ。レオーニもオランダ生まれのイタリアン・デザイナーなのである。オリベッティ社の基本デザインもつくった。
が、実際にはレオーニの前半生はアメリカが活躍の舞台だった。これはファシズムの嵐に耐え兼ねてアメリカに亡命したからだ。「フォーチュン」のアートディレクター、パーソンデザイン学校のデザイン部長、アメリカグラフィックアート協会の会長などとして活躍した。1953年にはアスペン国際会議の初代会長をつとめた。そして、後半生をイタリアに戻ってすばらしい絵本を描きまくったのだ。