【BOOKWARE】
文(あや)さんの父君は幸田露伴である。生活の術と芸術の目をとことん躾(しつけ)られた。祝い事ができないでどうする、片付けは見かけのためじゃない、台所仕事は音がやさしくなくちゃいけない、雑用が創造を生むんだ、始末をつけるのが人というもんだ…。その他あれこれ、いろんなことをつねに仕込まれた。それというのも5歳で母を、8歳で姉を、22歳で弟を亡くしたからだ。24歳で酒屋の三男と結婚したのだが、ばかばかしくて離婚、露伴に学びながら一人娘の玉を育てた。
そんな事情もあって、露伴は文さんの3軒ほど先に住んで、ちょくちょく覗きに来てはちょっかいを出していた。父と娘のあいだでどんなやりとりがおこっていたのかは、名文『父・こんなこと』や『月の塵』や『季節のかたみ』に詳しい。なかで「月の塵」には、文さんが幼い娘とお供えものをしながら月見をしていたら、そこへ露伴がやってきて孫と遊んだのち、「人を厭うも人も恋うも、何年つづくものかねえ」とポツンと言ったのがたいへん印象的だったということが書いてある。月にはそういう人の世の塵がいっぱいたまっているんじゃないかという感想だ。文さんの随筆はどれを読んでも身に染みるものだが、これもそういうひとつだった。