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「怖いもの」が持つ奇妙なロマン 乾ルカ
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近所の桜。今年は4月末に急に暖かい日が続いて、一気に咲いて一気に終わってしまいました=2014年、北海道札幌市(乾ルカさん撮影)
幽霊は存在するのか否か、という疑問が、友人同士、あるいは家族親戚等々の話題になったことがない、という大人の方は、日本にどのくらいいるのでしょうか。多くの場合、一度くらいはそんな話をしたことがあるのではないでしょうか?
一昔前ほどではありませんが、今でもたまに『霊魂』『超常現象』『いわくつきの土地・物件』『呪い』『奇怪な現象』を特集するスペシャル番組が放送されたりします。私もついチャンネルを合わせてしまうときがあります。
残念ながらというべきかどうなのか、私はそのような不思議体験をしたことはありません。けれども、私の姉は若いころ、たびたびそれらしきものを見たり聞いたりしたようです。姉から話を聞くにつけ、怖さにおののきながらも、「姉の世界にはあるのに、私の世界にはないものがある」と、若干羨(うらや)ましくも思いました。
不思議現象に無縁だからこそ、興味をひかれるのかもしれません。
20年以上前、私の嗜好を知ってか知らずか、怖い系の小説を職場の先輩が貸してくれました。『墓地を見おろす家』(小池真理子著)がそうです。
この長編作品は、ホラー小説というジャンルを私に教えてくれた、思い出深い一冊となりました。登場人物たちが恐怖の深みにはまっていくのと同じく、読み進める私もどんどん怖くなり、でも、もう止められない。恐怖の吸引力というのはすさまじいものがあります。びくびくしながら、なぜか次のページをめくってしまうのです。その日のうちに読了しましたが、大変面白かったにもかかわらず、同時に「こんなに怖いのを読んでしまった、しかも夜に」といささか後悔もしました。大人になるにつれ忘れてしまっていた、未知のものに対する原始的な恐れを呼び覚まされた感じがして、その日は子供のように、一人で寝るのが嫌でたまらなかった記憶があります。
しかし恐れというのは裏を返せば麻薬みたいなもので、もう一度あの恐怖刺激を味わいたいという思いが募り、私はそれから、ホラージャンルと呼ばれる小説を多く読むようになりました。
角川ホラー文庫はそのジャンルの名作の宝庫といえますが、今でも折にふれ再読するのは、『私の骨』(高橋克彦著)です。こちらは7編収録の短編集になります。
短編ならではの余韻に満ちた作品集で、これでもか、これでもかと、怖さの爆弾が投げつけられるホラーとは少々趣を異にします。じっと抑えた感じというのでしょうか。最初は紛れもなく私たちの日常であるのに、そこからひたひたと少しずつ浸水していくように、真綿で首を絞められるように、恐怖の濃度が濃くなっていきます。主に東北を舞台にした作品で構成されているのも、絶妙なリアリティーです。見知った地名の中に、土着的な風習や言い伝えの謎などを絡ませ、思わず地図を確認したくもなります。
最後のどんでん返しも鮮やかです。一方向に進んでいた恐怖が、たったワンシーン、たった一文、たった一言のモノローグで、それまでとは違った顔を見せる。超常現象的な恐怖が、人間そのものの持つリアルな恐怖にすりかわったりもします。異なる方向から見た顔が生む新たな恐れは、淡々と冷静な文章で書かれますが、そこで小説の幕が下りることにより、読者に想像の余地を残すのです。読者は新しい顔に驚き、言葉として明確に表現されていない『その先』を思い、よりいっそうの怖さに戦慄します。表されていないだけに、イマジネーションのふくらみは限度を知りません。
本当は『怖いもの』なんてないほうが、人生は楽しいはずです。けれども、私はどうしてか、現実からちょっと外れた世界を夢見てしまいます。怖いかもしれないけれど、今いるここだけがすべてじゃない、ということに、奇妙なロマンを感じてしまうのです。
『私の骨』に収録されている「髪の森」という作品があります。青森県は八甲田山の奥深くに、御殿のような隠れ館があるらしいという眉唾物の話を信じて姿を消した友人を追い、主人公もその謎を追いはじめます。そんな話を君の友人は信用したのかと問われた主人公は、こう答えます。
「信じてたね。俺も信じた。信じたいじゃないか。でなきゃあまりにも詰まらん世の中だ」
私もまさしくこの気持ちなのです。(作家 乾ルカ、写真も/SANKEI EXPRESS)
「墓地を見おろす家」(小池真理子著/角川ホラー文庫、605円)
「私の骨」(高橋克彦著/角川ホラー文庫、在庫なし)