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チャイコフスキー 追悼の調べ ウクライナ・ハリコフ
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ハリコフ中心部の自由広場で行われたマレーシア機撃墜事件の追悼コンサート。チャイコフスキーの「悲愴」の旋律が夕空に響き、背後ではレーニン像が厳かな儀式を見守った=2014年、ウクライナ・ハリコフ州(佐々木正明撮影)
ウクライナ第2の都市、ロシアの国境に近いハリコフを訪れるのは2度目になる。前回はちょうど2年前の夏、直前に迫ったサッカー欧州選手権の会場視察と、「美しすぎる政治家」「ウクライナのガスの女王」の異名を取るユリア・ティモシェンコ元首相(53)がこの地に投獄されており、ウクライナの政治情勢の取材をするためだった。
親欧米派のティモシェンコ氏は政敵のヤヌコビッチ政権の下で過去のガス取引をとがめられて立件され、ハリコフ郊外の病院で3年間以上も拘束され続けた。そして、今年2月に起こった政変で、ビクトル・ヤヌコビッチ氏(64)が大統領の座を追われると、すぐに釈放され、欧州統合を希求する大衆が待つ首都キエフの独立広場へと向かったのである。
2年ぶりのハリコフは道路や街並みがすっかりと整備され、欧州の主要都市としての風格を漂わせていた。鉄道駅からホテルに向かうために乗ったタクシーの運転手はやはりサッカーの欧州選手権が街の発展に大きな貢献をもたらした、と語った。
「ここは全くの平穏。今度は家族と来たらいい。森の中でキャンプしたり、湖の畔(ほとり)で水遊びしたらきっと楽しいよ」
運転手が「平穏」を強調したのは理由がある。ハリコフは現在、親ロシア派武装勢力と政府軍が激しい戦闘を続けるドネツク、ルガンスク両州と隣接し、5月には、そのあおりを受けて、市長の暗殺未遂事件が起きるなど緊迫した時期があった。
そして、東部情勢の混乱に追い打ちをかけるように、世界を震撼(しんかん)させたマレーシア機撃墜事件が7月17日に起きたのである。ウクライナ政府は、現場に近い地の利を考慮に入れ、平穏を取り戻したハリコフに、撃墜事件の対策センターを置いた。
ハリコフには国内外のメディアの記者やカメラマンが集結していた。その人数は200人以上。報道陣は、犠牲者を出したオランダ、マレーシア、オーストラリアなどから派遣された航空機事故の専門調査官や、遺体の身元判明を行う科学捜査官らの動向を追っていた。ハリコフ(ウクライナ語ではハリキウ)の名は一斉に報じられ、一躍、世界的に知られた都市になった。
事件発生から5日後、犠牲者の遺体が、冷蔵施設が施された特別列車で墜落現場から搬送されてきた。一時保管場所になったのは、ソ連時代からこの町の一大産業だった軍事産業の施設。外部から遮断された戦車工場の敷地内で、派遣調査団だけが立ち入りを許され、収容された遺体の検視や納棺する作業が続けられた。
高度1万メートルから落下してきた犠牲者の遺体は損傷が激しく、さらに一部分しかない亡きがらも数多くあった。作業を行うオランダ調査団の代表、ヤン・タンデル氏が会見でこう漏らした。
「われわれは怒りと悲しみを込めながら作業を続けている。とてもつらいことだ」
犠牲者の遺体はアムステルダムへと搬送された。ハリコフの空港では追悼式典が営まれ、正装したウクライナの警察官が、一つ一つのひつぎをオランダの軍用機に運び入れた。
整然と隊列を組み、軍用機を見送る警官隊の姿は、無念にもこの地に散った死者の魂を弔う厳かな儀式だった。
中心部の自由広場。地元の管弦楽団が、追悼コンサートを行った。チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の旋律が、夕暮れの陽光の中に溶けていく。広場にそびえ立つレーニン像は、犠牲者を悼む人間の営みを静かに見守っていた。(佐々木正明 写真も/SANKEI EXPRESS)