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【野口裕之の軍事情勢】露引きつける独と北方領土遠退く日本の諜報格差

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【野口裕之の軍事情勢】露引きつける独と北方領土遠退く日本の諜報格差

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ドイツ・バイエルン州ミュンヘン  ドイツのアンゲラ・メルケル首相(60)の執務机上には、エカチェリーナ2世(1729~96年)の肖像画が飾られている。当時の独生まれで、ロシア帝国の皇太子妃→女帝となり、現在ロシアが支配し国際批判を浴びるクリミアなどへ領土拡大した女性。ロシア人になろうと努力した生涯でも知られるが、肖像画がロシアへの宥和姿勢の象徴とは思わない。むしろ、肖像画に時折目を向け、ロシアにいかに影響力行使するか沈思黙考するメルケル女史の険しい表情が頭に浮かぶ。独諜報機関・連邦情報局(BND)の長官が10月に行った独連邦議会・委員会における爆弾証言にも、首相の表情の険しさが透ける。証言は、ロシアに頼るエネルギー、経済を含め独露関係を一層濃厚にするに違いない。諜報・軍事力を外交・経済に活用するドイツは、同じ敗戦国ながら諜報・軍事を危険視する日本とは対極に在る。諜報・軍事分野を強化し外交・経済と一体化させぬ限り、永遠にロシアの北方領土不法占領を許してしまう。

 プーチン氏助けたBND

 長官はウクライナ東部で起きた7月のマレーシア航空機撃墜を、ウクライナ親露派の仕業だと説明。しかも、ウクライナ軍から奪った地対空ミサイルが使用されたと、衛星写真などの分析結果で断定した。

 ウクライナ内相が「奪取」を強調してはいたが、別の当局が否定するなど情報が錯綜(さくそう)。各国諜報機関も断定できないか、ロシアを利する副作用を嫌いダンマリを決め込んでいた。国際の諜報コミュニティーで、情報確度・量ともに一目置かれるBNDが示した結論は、露正規軍の直接犯行を取りあえず否定し、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(62)の国際的立場を格段に有利にした。

 初春以降続く、露軍のクリミア侵攻→ウクライナ東部侵入を受け、独政府は対露関係に細心の注意を払ってきた。ロシアをG8より除外する米提案に反対。G7の対露非難声明も、ドイツの難色で発表がずれ込んだ。ドイツの“対露宥和姿勢”は他の欧米諸国に比べ際立ち、欧米が対露強硬策を実行する際、最大の障害となってきた。

 確かに、ドイツはロシアの貿易相手国としては3位。天然ガス・原油輸入のロシア産比率も3分の1を超える。ロシアがドイツの雇用を一部創出しているのだ。東西ドイツ統合に至る交渉過程と、以来継続するソ連→ロシアとの外交・人脈の積み重ねも独露関係を支える。

 クリミア侵攻直後の世論調査(独シュピーゲル誌)では「併合容認」が54%、公共放送の4月の調査も、ドイツが採るべき姿勢は「欧米とロシアの中間」が49%と、「欧米との団結」の45%を上回った。

 リビア空爆前後にも手柄

 一方で、初めて共産圏=旧東独出身の首相となったメルケル氏は、元KGB(ソ連国家保安委員会)諜者として旧東独勤務経験を持つプーチン氏に全く気を許してはいない。

 そもそも東西分割時代の1955年創設のBNDは、第二次世界大戦(1939~45年)中のナチス対ソ連諜報組織を戦後、米国の支援で引き継いだゲーレン機関が前身だ。対ソ警戒には年季が入っている。実際BNDは、プーチン氏がKGB東独駐在だった85~90年、夫人に接触。浮気や家庭内暴力を繰り返す氏の私生活を掌握した。胸の大きさ故コードネーム「バルコニー」で呼ばれた夫人に、BNDの露系女性諜者は最初は通訳、次いで親友へと関係を深め、悩みの相談相手まで演じていた。

 2011年のリビア空爆前後にも、ドイツは日本が到底真似(まね)のできない大手柄を立てた。

 空爆前、欧米の軍事・諜報関係者は、追い詰められた最高指導者ムアンマル・アル=カダフィ大佐(1942~2011年)による化学兵器使用を懸念した。大佐が科学・技術者を養成し、1980年代にはサリンやホスゲン、マスタードガスのいずれか、もしくは全てを保有していたとの観測が有力だったためだ。結局、国交回復や経済交流を望んだ大佐は2003年、核兵器開発に加え、化学兵器廃棄にまで同意する。ところが、国連化学兵器禁止機関(OPCW)の監視下、11年5月を目途に廃棄する計画が、11年2月の内戦勃発(ぼっぱつ)で中断を余儀なくされた。リビアは当時、依然として事実上の化学兵器保有国だった。

 リビアの化学兵器工場建設への西側企業参入情報をいち早くつかみ、捜査したのがBNDだった。BNDはCIA(米中央情報局)に通報し、内戦勃発後の11年2月下旬、英陸軍特殊作戦部隊(SAS)やNATO(北大西洋条約機構)の化学兵器処理専門家らで極秘潜入チームが編成された。3カ所の化学兵器秘匿保管庫を11年8月下旬までに特定し、監理下に置く。保管庫は味方にも秘匿され、近付くヒト・モノは彼我の別なく攻撃された。

 モサドとも協力

 今や、総合力でCIAをしのぐ米国防総省国防情報局(DIA)でさえBNDに協力要請する。例えばイラク戦争(2003~11年)。ドイツは国連など表舞台では米英のイラク攻撃に反対したが、戦争中、BNDの諜者2人をイラクに潜入させた。シュピーゲル誌によれば、DIAはBNDに33回も情報提供を要請し、BNDは少なくとも15回応じた。2人がBND本部に伝えた情報130件の内、25件が対米提供された。サダム・フセイン大統領(1937~2006年)のレストラン立ち寄り(2003年4月)情報や、イラク軍の移動状況も含まれ、米軍の空爆を可能にしている。

 ドイツが諜報・軍事力を駆使し、高い外交障壁を乗り切っている極め付きの証左は、イスラエル諜報機関モサドとの協力。ナチスのユダヤ人虐殺が醒(さ)めやらぬ1950年以来というから驚く。BNDはモサド工作員に度々旅券を発給、イスラエル軍とレバノンのシーア派過激組織ヒズボラの捕虜交換の仲介まで手掛ける。イスラエル海軍潜水艦部隊の強化にも積極的だ。

 リビアの化学兵器やイラク戦争に関する情報の一端は「モサドの恩返し」だと感じる。東西ドイツ再統一に向けてもBNDがフル稼働したはず。

 「徒手空拳外交」だけで領土が返還されると信じるのは、日本国憲法前文《諸国民の公正と信義に信頼して》と同じくらい愚かな幻想だと、いつ目覚めるのだろうか。それとも…。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS

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