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【鎌倉海びより】ロウバイ香る悲運な塚

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【鎌倉海びより】ロウバイ香る悲運な塚

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和田塚の小さな石垣の上に咲くロウバイ=2015年1月11日、神奈川県鎌倉市  鎌倉は今年、元日から雪が降り、前途多難な1年を予想させる幕開けとなった。そういえば昨年も雪かきが必要なほどの積雪が2回あったなあ…と1年前を思い出す。もともと温暖で雪の少ない町ではあるが、今年もある程度の作業は覚悟しなければなるまい。

 そんなことをあれこれと考えながら江ノ電和田塚駅を下り、海岸に向かう道を歩いていたら、春を思わせる甘い香りがかすかに漂ってきた。和田塚の小さな石垣の上に咲くロウバイのかおりだった=写真

 江ノ電の駅名にもなっている和田塚は鎌倉幕府の有力武将だった和田一族の墓地と伝えられる小さな空間だ。駅から歩いてもほんの数十秒。広さは児童公園程度なのだが、生活道路と住宅に囲まれ、ひっそりとたたずむ姿には、小さいながらも、これぞ鎌倉と言いたくなる風情がある。

 海に向かう道路から9段の石段を上がると、古木に囲まれた土地の奥には「和田一族戦没の地」の石碑。傍らの説明板には次のように書かれていた。

 『和田塚は建保元年、鎌倉幕府内部抗争による北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍(しかばね)を埋葬した塚として今日まで伝承されている』

 建保元年は1213年。和田義盛は源頼朝の側近で、初代別当(侍所長官)を務めた鎌倉幕府重鎮。北条義時は鎌倉幕府の第2代執権となった北条氏の実力者だった。

 和田合戦は頼朝の死後、幕府中枢の権力バランスが崩れ、北条氏が実権を握っていく過程で起きた政変であり、和田一族はこの合戦で滅亡する。ただし、和田塚のある場所は古墳時代の円墳跡で合戦と直接の関係はなく、明治時代の道路工事の際に大量の人骨が見つかったことから悲劇の地の伝承につながったようだ。(編集委員 宮田一雄/SANKEI EXPRESS

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