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【チュニジア襲撃テロ】邦人3人死亡 「民主化優等生」侵す過激思想

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【チュニジア襲撃テロ】邦人3人死亡 「民主化優等生」侵す過激思想

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3月18日、首都チュニスで博物館襲撃テロに巻き込まれ、決死の思いで脱出を図った観光客ら=2015年、チュニジア(ゲッティ=共同)  北アフリカ・チュニジアの首都チュニスの国立バルドー博物館で18日午後0時半(日本時間18日午後8時半)ごろ、武装集団が観光客らを襲撃、銃を乱射した。チュニジア政府は外国人観光客18人を含む計23人が死亡し、40人以上が負傷したと発表。日本政府は19日、日本人3人が死亡、3人が負傷したことを確認した。実行犯はチュニジア国籍の男2人で現場で治安部隊に射殺された。数人の協力者が逃走した可能性があり、当局が行方を追っている。中東民主化運動「アラブの春」の発祥国で、成功例とされたチュニジアでの事件は、拡散するテロの脅威を改めて見せつけた。

 「革命」で監視緩む

 チュニジアのベジ・カイドセブシ大統領(88)は18日、フランスのラジオ番組に、実行犯がイスラム過激派アンサール・シャリーアと関係があるとして、テロと断定した。邦人人質事件を起こした過激派組織「イスラム国」の関連サイトは博物館襲撃を称賛しているが、イスラム国と事件との関連は明らかになっていない。

 共同通信によると、死亡した日本人は全員女性で、東京都荒川区の成沢万知代さん(66)と、埼玉県狭山市の宮崎チエミさん(49)と遥さん(22)の親子。このほか、英国、イタリア、スペイン、ポーランド、フランス、コロンビアなどからの観光客の死亡も確認された。

 今回のテロは、北アフリカに広がるイスラム過激派の脅威を改めて浮き彫りにした。約23年続いたベンアリ独裁政権が2011年1月に崩壊し、欧米から民主化の「優等生」と称されたチュニジアで、なぜイスラム過激派が伸長していったのか。要因の一つは、抑圧が緩んだアラブの春の「ジャスミン革命」後、多くの若者らが「聖戦」などの過激思想に感化されていったことがあげられる。

 チュニジアでは革命後、議会選でイスラム原理主義組織ムスリム同胞団系のアンナハダが躍進し、暫定政府の主導権を掌握。旧政権期には厳しく監視されていた過激なイスラム勢力も活動の自由を得て、アンサール・シャリーアなどの組織を結成し、国内外の組織と連携を深めた。

 これに対し、フランス統治時代の影響から世俗主義が根強いエリート層はアンナハダと激しく対立。14年の大統領選で世俗派エリートの代表格であるカイドセブシ氏が当選したことでアンナハダは求心力を低下させ、過激派に対する取り締まりも厳しさを増した。

 戦闘員の供給源

 こうした一連の動きの中、チュニジアはイスラム国などの過激派組織に参加する外国人戦闘員の「最大供給源」になり、約2万人に及ぶ外国人戦闘員のうち、最多の3000人近くを占めている。さらに最近は帰国したチュニジア人戦闘員も増加中だ。

 東側で国境を接するリビアが内戦状態であるのも、チュニジアの治安を悪化させた。無政府状態のリビアは、混乱の中で多くの武装勢力の隠れ家となっている。一方で、チュニジアではベンアリ政権崩壊後、治安機関が弱体化し、国境管理能力も落ちている。

 生まれて間もない民主主義は、試練の時を迎えた。(SANKEI EXPRESS

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