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【男子ゴルフ】聖地で死闘制し 「男として…」涙 全英オープン
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悲願の全英優勝カップを手にしたザック・ジョンソン。後方の大会看板は、ただ「The_OPEN」とある=2015年7月20日、英スコットランド・セントアンドルーズ(ロイター) 男子ゴルフの今季メジャー第3戦、全英オープンは20日、英国北東部セントアンドルーズのオールドコース(パー72)で最終ラウンドが行われ、66で回ったザック・ジョンソン(米国)が、通算15アンダーの273で並んだルイ・ウェストヘーゼン(南アフリカ)、マーク・リーシュマン(豪州)との4ホールのプレーオフを制し、大会初優勝を果たした。2007年のマスターズに続き、メジャー2勝目となる。
松山英樹は最終日、4バーディーを先行させて首位に迫ったが、後半3ボギーで通算8アンダーの18位に終わった。
強風、悪天候で5日間のプレーとなり、長かった大会を制したジョンソンは「夢がかなって感動している」と涙をみせた。それほどゴルファーにとって、セントアンドルーズで行われる大会は格別の意味を持つ。
カップを掲げるジョンソンの後方を見てほしい。大会のロゴは単に「ジ・オープン」とある。街中の看板はさらに省略され「オープン」のみだ。当地の牧童が家畜の骨で石を打ったのがゴルフの始まりとされ、競技の総本山、ルールを定めるR&Aもここにある。これが「聖地」と呼ばれる理由だ。
多くのスポーツは、遊びの天才でプライドの塊でもある英国で生まれた。だから先にウィンブルドンで終えたばかりのテニスの全英オープンも正式名称は「ザ・チャンピオンシップ(選手権)」であり、英国サッカー協会は「ザ・フットボール・アソシエイション(FA)」と称する。われこそが元祖であるという不遜なまでの自負心が、大会名や協会名の冠に国名をつけさせない。
セントアンドルーズの「オープン」は1990年以降、5年に1度、開催されている。優勝者は90年、ニック・ファルド。95年、ジョン・デーリー。2000年、05年、タイガー・ウッズ。10年、ウェストヘーゼンとなっていた。彼がプレーオフを制すれば、ウッズに続いてセントアンドルーズの連覇を飾るところだった。
ザック感涙の談話がいい。
「オーガスタで勝ってセントアンドルーズでも勝てた。ゴルファーとして、男として、この気持ちを言葉にするのは難しい」
≪耐えて18位 松山「ふがいない」にVの予感≫
例えば季節の花々が咲き誇り、緑のじゅうたんを敷き詰めたようなマスターズの戦場、米オーガスタ・ナショナルと比べてどうか。
聖地と呼ばれるセントアンドルーズのオールドコースだが、あるがままの地形を生かし、ラフは深く、いくつもの無慈悲なバンカーが大口を開く。1日の間に四季があるといわれ、半袖でスタートしたプレー中にセーターを着込んでも指がかじかむことがある。
ひとたび強風が吹き荒れれば、グリーン上のボールが動き出し、パトロンは帽子を飛ばされぬよう両手で押さえて、かがみ込む。1番でそよ風が吹いても、海に近い9、10、11番あたりでは嵐となっている。
名物の17番ホールではホテルの敷地上空を飛ばしてフェアウエーに落下させなくてはならない。最終日には名手ミケルソンが客室のバルコニーに打ち込んだ。グリーンの右側は汽車の線路の名残を残す舗装道路があり、石垣がある。今大会でもウェールズのドナルドソンがスタンスを取れず、ボールを石垣にぶつけてコースに戻すシーンがあった。
そんな過酷なコースで、松山は耐え続けた。初日イーブンで出遅れながら、2日目の6アンダーで優勝争いに加わった。その2日目を除けば、終始パッティングに苦しんだ。パット数は2日目の24に対し、最終日は31。
これほどグリーン上で苦しみながら、最終日も一時はトップに2打差まで詰め寄った。ショットはどのプレーヤーにも見劣りしなかった。4つのバーディーを先行させて迎えた12番で1メートルのパーパットを外し、「あれで流れを手放した」。
実力はすでに、多くのライバルが認めている。何より、首位と7打差の18位に、「ふがいない」と悔しがる気概がある。自身、善戦など求めていない。優勝しに来ているのだという目標が明確だ。
必ず松山が、世界のメジャーで勝つ日がくる。そう確信させる大会でもあった。テニスの錦織圭(にしこり・けい)との四大大会制覇の先陣争いが、ますます熾烈(しれつ)となる。(EX編集部/撮影:ロイター、AP/SANKEI EXPRESS)