しかし、ぼくたちはローカル文化を身にまとって初めて存在感を発揮するものなのか? 存在感というのは、そんなに意図的に表現するものだろうか? そんなことばかりに目がいっていると、妄信的なナショナリズムに走るだけじゃない? かなりさまざまな問いが浮かんでくる。
ぼくは、この10数年間、グローバリゼーションがもつ不自然さに批判的な想いを抱き、本連載名にあるようにローカリゼーションに肩入れしてきた。だから、今のローカル文化過剰礼賛には逆にいささか辟易する。
しかも、ローカル文化といえども、ある地域に純度100%の文化があるわけではない。いずれの文化も隣接の、あるいは遠い距離にある文化の影響を受けた結果である。
それも前世紀後半からのグローバリゼーションによって異文化要素が入った場合よりも、その昔から、異なった文化との交流による結果だ。しかも常に現在進行形で変容している。
とするならば、ローカル文化にアイデンティティを抱くとは、いったいどのようなことを指すのか一概には説明しがたい。ある人は生まれ育った土地の10キロ圏内の文化を指し、別の人は国という単位に「幻想」として依拠する。
そうした単位が混乱したままに「ローカル文化に基づかないのは根無し草だ」という言葉だけフワフワと目の前を通り過ぎていく。