【負けるもんか】失点後も勝負は続く 元プロ野球選手から公認会計士へ、奥村武博さん (2/3ページ)

公認会計士となり、引退したスポーツ選手のキャリア形成も支援している=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
公認会計士となり、引退したスポーツ選手のキャリア形成も支援している=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)【拡大】

  • プロ野球阪神に投手として在籍していた頃の奥村武博さん=平成13年2月、兵庫県西宮市の鳴尾浜球場

 しかし、入団直後からけがに悩まされる。1年目で右肘を手術し、2年目はリハビリに専念。3年目に肋骨(ろっこつ)を骨折し、4年目は肩を痛めた。肩をかばいながら投げ続けたが、ある日、練習後に呼び出され「来季は契約しません」と告げられた。打撃投手となり、14年に退団した。

 バーやホテルで働きながらも「本当にこれでいいのか」という思いが頭をよぎる。15年、阪神が18年ぶりにリーグ優勝を果たす。同期入団の井川慶さんが20勝を挙げ、快進撃を支えた。

 先輩や同期の活躍と自らの境遇を比較し、焦燥感ばかりが募っていった。そんな中、帰宅すると資格ガイド本が置いてあった。後に妻となる恋人が買ってきてくれたものだった。税理士、医師、弁護士…。やがて「公認会計士」の文字に目がとまる。受験資格要件がなくなり、高卒でも挑戦できるという。「目指すしかない」。縁のようなものを感じていた。

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 公認会計士試験は短答式と論文式の2段階に分かれる。18年に初めて短答式を受験。慣れない勉強に試行錯誤しながら4度目で合格した。高校で簿記を習い、日商簿記検定2級を取得していたことも役立った。

 翌年からの2年間は短答式の受験が免除されるが、論文式で不合格が続き、ついに「三振」してしまう。くしくも資格予備校で働きながら勉強していた時期。合格祝賀会では合格者の案内などを担当した。平静を装っていたつもりが、予備校役員が連れ出してくれた食事の席で涙があふれた。

「試験勉強だけしていたら受からなかったと思う」